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zoom RSS 首相靖国参拝は“拜鬼“、どうして(1)

<<   作成日時 : 2006/08/15 13:24   >>

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前にこのブログで、中国人ジャーナリスト張石氏の「“小泉相手にせず”という態度は間違い」(「中国不可“不以小泉対手”」)という小泉首相評価の一文を紹介した。そこには以下のようなことが書かれていた。


≪昨年8月、小泉首相は自民党首相としてははじめて、「植民地支配と侵略によりアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えた」と痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。また、10月の国会答弁では、「(A級戦犯は犯罪人として裁かれたのだから、)戦争犯罪人である」と、自民党首相としては破天荒なことを明言した。靖国参拝以外では、なにも中国について非難するようなことはいっていないし、中国政府の宣伝雑誌『人民中国』を講読している2名の大臣の中のお一人でもあり、中国文化についての造詣も深い。靖国問題の食いちがいは両国の宗教観の違いが原因なのだ。だから、中国が“小泉相手にせず”という態度は間違いだ。≫



さて、本日、2006年8月15日、小泉首相は公約どおり、靖国神社に参拝された。

このことは中国でも織り込み済みのことであろうから、大騒ぎにはならないだろうという気がす
るが、中国の新聞には「小泉去” 拜鬼“」と、”鬼”いう漢字が躍るであろう。


折角だから、ここで中国人が、あるいは中国文明がイメージする「鬼」とか、「神」とかはどんなものか、そんなことを考えるきっかけとして、わが国古典でもある『論語』の中の「鬼」・「神」の用例を抜き出だしてみた。(全部で5章あるが、4章だけを掲げる。)



○子曰、「非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也。」(為政第二)

(訓)子曰わく、「其の鬼に非ずして之を祭る、諂(へつら)いなり。 義を見て為さざるは、勇無きなり。」

(訳)孔子はおっしゃった。「自分の先祖の霊魂でもないのにその祭りをするのは、いやしむべき卑屈なおべっかである。自分がすすんでやるべきだと感ずる事柄、それを見かけながら、しり込みして、それをしないのは、勇気のない人間である。」


○樊遅問知、子曰、「務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣。」(雍也第六)

(訓)樊遅知を問う。子曰わく、「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂う可し。」

(訳)弟子の樊遅が、知とはなんであるかを、孔子に尋ねた。孔子は答えられた。「人間の道理を大切にし、人間以上の存在としてある鬼神に対しては、尊敬はささげるけれども、ある距離をおいた存在として扱う。それこそが知者の資格となるものである。」


○子不語怪力乱神。(泰伯第七)

(訓)子は怪力乱神を語らず。

(訳)孔子は語らなかった。不可思議なこと、腕力ということ、無秩序なこと、人の霊魂や人を超えた存在、それらを。



○季路問事鬼神、子曰、「未能事人、焉能事鬼。」敢問死。曰、「未知生、焉知死。」(先進第十一)

(訓)季路鬼神に事えんことを問う。子曰わく、「未まだ人に事うる能わず、焉(いずく)んぞ能く鬼に事えん。」敢えて死を問う。曰わく、「未まだ生を知らず。焉んぞ死を知らん。」

(訳)季路(子路)が鬼神、死という不可知の世界に奉仕することについて尋ねた。
孔子はこうおっしゃった。
「まだ生きた人間に対する奉仕さえ十分にわかっていないのに、どうして鬼神への奉仕が可能であろうか。」
子路は今度は人間の死後について尋ねた。
孔子はこうお答えになった。
「われわれの感覚に触れる生前のことさえもわからないのに、どうして鬼神、死、それらの語によってあらわされる不可知の世界の存在のことがわかるだろうか。」
                           参考:吉川幸次郎『論語』朝日文庫

                                    (論語読みの論語知らずのネコ)

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