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zoom RSS 「あつてはならないこと」がどうして

<<   作成日時 : 2007/05/18 15:28   >>

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最近とっても印象に残った言葉は何かといったら、わたしはやっぱり「あってはならないこと」という言葉がそうではないかと思うのです。

安倍首相が、柳沢厚生大臣が、塩崎官房長官が、テレビのコメンテーターが口にしていました。でも、この数日はわたしも、「あってはならないことがどうしてこうも頻発するのか」と自問しています。



今日も23歳の優秀な警察官がおかしな男の凶弾に倒れて命を落としたという、痛ましい出来事が伝えられています。

その前までは息子が「だれでもいいから人を殺したかった」とかいう理由で、母親を殺害し、念の入ったことには首まで切断し、腕を植木鉢に差し込んでいたという事件です。そしてその前は………でした。



もともとこの言葉、最初に印象に残ったのは「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)の創設に関するときにでしたが、その「ポスト」に最初に入れられたのは三歳児だったというニュース、「あってはならないこと」のグレードとしてはとても軽いほうではないか、といまのわたしは思っているのです。



どうしてこうも次から次と、「あってはならないこと」が頻発するのでしょうか。



そういえば15年くらい前になりますが、「21世紀に生きる」という題で木村尚三郎という方の、大体こんな話を聞いたことがありました。

「今後30年は頭から上の科学はどんどん発展していく。しかし、身体全体をよろこばせるような発明発見は期待できない。エネルギー問題、食糧問題、水資源問題、ガンの治療法など、人類にとってとっても大切な問題は依然として解決策は見つかっていないかもしれない。むしろだんだん深刻になっていくかもしれない。……。21世紀はこれまでの一直線成長の考えを止めて循環型思考に切り替えていかないと人類は共存していくことはできない。」



あれから10数年が経ちました。大抵の若い人は街中でも携帯を握って歩いています。ちょっと時間があれば覗いています。きっといまの若い人たち、家に帰れば、今のわたしもそうですが、まずはパソコンを開けてメールを見、夜遅くまでネットの世界をさまよい歩いて時を過ごしているのでしょう。


もし、いま、わたしが10代、20代であったら、どのような若者として過ごしているのでしょうか。


楽しむことが人生だなどとは露ほども思わず、牛・馬のようにもくもくと働き、大都会や観光名所に出かけることもなく、30数年間も過ごしてきましたが、そんな生活がつづけられるかどうか、とっても自信がありません。

生活のために働く必要もなくなったいまのわたしの気ままな生活に、30数年を一気に飛び越えて入っていこうと考えたに違いない、わたしはそう思うのです。

前世紀前半は「プロレタリアート」(無産者)という言葉がはやりましたが、今世紀はきっと「プレカリアート」(不安定な人々)という言葉がはやってくることでしょう。



ネット社会、情報社会、ゲームやCDVの花盛りという“頭でっかち”の、バーチャルな世界がいまは広がっています。その中で生きる21世紀の住人にふさわしい対策、それを国会の先生方には大いに論じてほしいと思うのですが、これは政治家ではやっぱり無理なのでしょうか。



                                                                      (21世紀の人類はみんなわたしたちのように役立つことは一切せず、好き勝手にまどろみながら暮らすべきだと忠告したい フータロウのネコ)


≪追記≫
プレカリアート:イタリア語のprecario(不安定)という形容詞に由来し、欧州では不安定雇用の労働者たちの新しい連帯を示す言葉として広まりつつあるという。わが国のフリーター全般労組はこの言葉を使って、この春、「自由と生存のメーデー」というデモと集会を行ったそうです。



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