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zoom RSS 長崎原爆投下の真相(読売社説への疑問・その2)

<<   作成日時 : 2007/07/08 15:28   >>

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(7月4日付けの読売社説「防衛相辞任 冷静さを欠いた『原爆投下』論議」について、5日、わたしは4点ほど疑問があるという一文を書きました。一番目の疑問点については6日に説明しましたので、今回は二番目のを説明します。)


二番目の疑問点は以下の個所です。

2 久間氏は講演で、米国は、「日本も降参するだろうし、ソ連の参戦を止めることができる」として原爆を投下したとの見方を示した。これは、誤りではない

わたしは広島や長崎に1、2回ほど行ったことはありますが、原爆ドームも浦上天主堂も原爆記念館も足を踏み入れたことはありません。だから本当は原爆問題については久間さん程度、いやそれよりももっと低い関心しか示してこなかった人間です。今度の久間発言についても、被爆者や地元の方々に比べると、わたしの気持ちは第3者的で、怒りというほどのものではありませんでした。久間氏に対しても、こわもての安倍内閣の中では親しみやすい、ステテコ姿の似合う庶民的な方だなあと、いまはちょっぴり同情すらしております。

それはさておき、なぜわたしは疑問に思ったかというと、わたしのとっている地元紙にその説はいまは否定されつつあるというようなことが書かれていたこと、わたし自身が2日前に「久間発言と栗林中将」という一文を書き、アメリカが本土決戦を避けたい気持ちをわが国将兵たちの死闘にあったんだ、と強く思いたかったからでした。



さて、この文を書くために、ネットのWikipediaの「原爆投下」のところをみてみることにしました。

「広島原爆への道程は6年前のルーズベルトへの手紙にさかのぼる。そして開発された原爆の目標に広島が決定したのは1945年6月であった。投下に至るまでには原爆投下を阻止せんと行動した人の存在もあった。」という前書きで原爆投下の背景と経緯が書かれていました。自分の勉強のためにもと思い、その経緯を年表形式にまとめてみました。。

1939年9月1日 第二次世界大戦が勃発。

1939年10月11日  アメリカに亡命した物理学者のレオ・シラード等は当時研究が始まっていた原子爆弾をドイツが先に保有することを憂慮し、アメリカが原子爆弾開発を行うことを大統領へ進言する手紙をアインシュタインの名を借りて送付する。

1941年7月  イギリスの亡命物理学者オットー・フリッシュ(Otto Robert Frisch)とルドルフ・パイエルスがウラン原子爆弾作成のために必要なウランの臨界量の理論計算と、ウラン原子爆弾の基本原理をレポートにまとめ、MAUD委員会(イギリス原子爆弾開発委員会)に報告。原子爆弾が実現可能なものであり、爆撃機に搭載可能な大きさであることが明らかにされる。

1941年10月  このレポートの内容を知ったルーズベルト大統領は原子爆弾開発に踏み切ることを決断する。

1942年6月  ルーズベルトはマンハッタン計画を秘密裏に開始させる。

1943年4月  ニューメキシコ州にロスアラモス研究所が設置される。開発総責任者はオッペンハイマー。20億ドルの資金と科学者・技術者を総動員してウランの濃縮に取り組むため、テネシー州オークリッジに巨大なウラン濃縮工場が建造される。

1944年6月  高濃縮ウランの製造の目途がつく。

1944年9月18日  ルーズベルト米国大統領とチャーチルイギリス首相は、ニューヨーク州ハイドパークで首脳会談。内容は核に関する秘密協定であり、その中では日本への原子爆弾投下の意志が示される。これと前後して、ルーズベルトは原子爆弾投下実行部隊、陸海軍から集められた第509混成部隊の編成を指示。

1944年12月  B-29計14機及び部隊総員1767人からなる部隊の編成を完了。ユタ州ウェンドバー基地で原爆投下の秘密訓練を開始する。

1945年5月18日  2月に原爆投下機の基地はテニアン島に決定。部隊はテニアン島に移動する。

1945年7月20日以降  第509混成部隊ではファットマンと同形の爆弾に通常爆薬を詰めたもの「パンプキン」(総重量4,774kg、爆薬重量2,858kg)の投下練習が繰り返し行う。この原子爆弾の投下予行演習はテニアン島から日本列島の決められた都市まで飛行し、目標地点に正確にパンプキンを投下する練習が延べ49回、30都市で行う。このパンプキン練習作戦は、7月24日、7月26日、7月29日、8月8日、8月14日と終戦寸前まで行われる。

1945年7月16日  完成した原子爆弾を積んだアメリカ海軍の重巡洋艦インディアナポリスがサンフランシスコを出港する。

1945年7月28日  巡洋艦インディアナポリス、テニアン島に到着。一方陸軍航空隊の輸送機はウラン235のターゲットピースをテニアン島に空輸。原子爆弾の最終組立がこの島の基地で行われる。
(なお、このインディアナポリスは帰路の7月30日、フィリピン海で日本海軍のイ‐58潜水艦(艦長 橋本以行海軍中佐)の雷撃により、撃沈される。もしインディアナポリスが往路に撃沈されていれば、8月6日の広島市への原子爆弾投下は不可能だったか。)



この間、核分裂の理論を発見した理論物理学者ニールス・ボーアをはじめ、多くの原子力理論に詳しい科学者などが、原子爆弾の出現が世界に不安定化をもたらすことに気づき、ソ連も含めた原子力国際管理協定の必要性を米英の指導者に訴えたり、原子爆弾投下阻止の提言をしたりしたそうです。しかし、それらは受け入れられることはなかったとのことです。

1944年5月16日  ポーアはチャーチルと会談し、原爆投下阻止の説得を試みるが失敗する。

1944年8月26日  ポーアはルーズベルトと会談したが同様に説得に失敗し、逆に米英のハイドパーク協定では、ボーアの活動監視とボーアのソ連との接触阻止が盛り込まれる。このころ、別の科学者たちも、原子力の平和利用の開発に注力すべきで原子爆弾の都市破壊への利用をすべきでないという「ニュークレオニクス要綱」をまとめて提言している。この提言も生かされることはなかった。

1945年5月28日  ドイツ降伏後、米国の核開発を進言したレオ・シラードはバーンズ長官に原子爆弾使用の反対を訴える。

1945年6月11日  シカゴ大学のジェイムス・フランクら7名の科学者は連名で報告書「フランクレポート」を大統領諮問委員会に提出。その中でフランクは、社会的倫理的に原爆投下を反対し、原子爆弾の威力を砂漠か無人島にてデモンストレーションで各国に示すことで戦争終結の目的は果たせると提案。政府に拒絶される。また同レポートでは核兵器の国際管理の必要性をも訴える。

1945年7月17日  シラードは原子爆弾使用反対の書簡を科学者たちと連名で提出。

1945年7月20日  ヨーロッパ戦線を勝ち抜いたアイゼンハワー将軍は、対日戦の勝利にはもはや原子爆弾の実戦使用は不必要であることをトルーマン大統領に進言。政府側近でも、バードのように原子爆弾を使用するにしても事前警告無しに投下することには反対する。



これら一連の原子爆弾投下阻止の試みは、ルーズベルト大統領やそのあとを引き継いだトルーマン大統領の決意を動かすことはできず、広島・長崎の悲劇は起こりました。



ところで、ここまでの記述では、上記の読売社説が間違っていると判断することはやはり無理なようです。


そこで他の記事を探したのですが、わたしの印象に残ったのは池田信夫blog」でした。

はじめて目にするサイトでした。この方はどのような経歴の方なのか、まったく存じ上げておりませんが、この方の7月3日の「国会は『原爆投下非難決議』を出せ」という論文を見ると、コメント数が115件も付いていました。わたしなどとは段段違いの発言力あるお方とお見受けしました。関心のある方は全文を読んでいただくとして、読売社説の疑問点にかかわると思われる部分を池田氏の論文から引用させていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f5b0d2940134791e57b349dcd1030dd4

これによって日本がソ連の参戦直後に降伏したため、北海道がソ連領にされずにすんだというのもよくいわれきている話だ。

しかし最近では、こうした説は疑問とされている。たとえばトルーマンは回顧録に、ソ連が8月8日、駐ソ米大使に対日参戦を通告したとき、「米国が日本に原爆を投下したために、ソ連は極東における自己の位置を考え直した」と書いている。ソ連参戦は、ヤルタ会談(1945年2月)で決まっていた方針であり、原爆投下はむしろそれを早めた可能性が高い。

また原爆開発にあたっていたグローブス少将の陸軍長官あて書簡(1945年4月)には「目標は一貫して日本だ」と明記され、もともと広島(ウラン)型と長崎(プルトニウム)型の2発を「実験」する計画だったとされる。したがって「原爆のおかげで戦争が早く終わってよかった」という久間氏の話は、防衛相としてはお粗末というほかない。




なお、7日、わたしが取っている地元紙に「久間前防衛相発言と『原爆神話』」という論文が掲載されていました。わたしははじめて、「原爆神話」なるものがあることを知りましたが、その内容とは以下のようなことです。

「原爆投下によって日本が降伏を決定したのであり、その結果、百万人もの米兵ばかりでなく、多くの日本人の生命も救われたのだという『原爆神話』は、原爆投下を正当化するために、あるいは第二次世界大戦における『戦争犯罪』であることを覆い隠すために、戦後になって米国によって作られ、歴代の日本政府から追認された『虚構の論理』である。」



久間さんは政治家ですから、いまのわが国に受け入れられやすい、あるいは日米双方に都合のいいこの「神話」を、「わが国の防衛について」という講演にはふさわしいと思って話をされたのでしょう。でも、単なる政治家ではなく、国防をあずかる防衛大臣ですから、根拠のない、いい加減な歴史認識では困ることも起こるのではないでしょうか。

わたしはときどきデモクラシー、デモクラシーとこの制度が最高のようにいわれているけれど、これって衆愚政治じゃないの、と心の隅でちらっと思うことがよくあるのです。ふつうはベストではないけどベターではと思っているだけなのですが、それがベターであるためには政権担当者に対するしっかりしたチェック機能が必要条件ではと思うのです。その権力をチェックできる一つはマスコミではないかと期待しているのです。そのマスコミが、アメリカの公文書とか当時の人たちの記述とかには基づかない話を、「これは、誤りではない」といいきってしまっていいのでしょうか。日本の新聞の社説を書く人たちのレベルがこんな程度でいいものでしょうか。

(「真相」とタイトルを掲げましたが、どこに「真相」があるの、羊頭狗肉では、とのご指摘を受けそうです。これは読んでいただくための”週刊誌的手法”でした。お許しください。)

(人間様はいまごろ「鈍感力」という本を読んでいるようだが、直観力の鋭い我輩からみたら、さらに鈍感になったらどうなるのよ、と思って笑っているネコ)



≪追記≫
池田信夫blog」に以下のようなコメントが付されていました。

Unknown (Unknown)                              2007-07-08 17:26:37

原爆投下前に降伏しなかった日本が悪いという意見がありますが、事実関係を確認すると、

2月のヤルタ会談でソ連(スターリン)は「ヨーロッパ集結後3ヵ月以内に日本に宣戦布告する」旨を約束

5月7日ドイツ無条件降伏 (機械的にはソ連の日本宣戦布告までのタイムリミットは8月8日)

8月6日 広島原爆投下
8月9日 長崎原爆投下
8月9日 ソ連宣戦布告

なので、原爆が無かったとしても8月9日のソ連が約束どうり宣戦布告していれば、ソ連の仲介を最後の頼みと考えていた日本が無条件降伏を受け入れた可能性は高い。

むしろ、ソ連が宣戦布告しないうちに、あわてて原爆を落すようにスケジュールしたということでしょう。

実際、日本にとっての不幸は、原爆開発のスケジュールが、ぎりぎりソ連参戦以前に間に合ってしまったということ(世界最初の原爆実験は7月16日。これが仮に一ヵ月でも遅れていたら事態は全然ちがっていたかも。)

Unknown (Unknown)                             2007-07-08 21:47:27

上に補足すると、そもそも日本は天皇制の維持さえ保証されていれれば降伏を受け入れる準備はほぼできていたし、日本がソ連に密使を送っている状況もすべて米国は知っていた。ので、「戦争の早期解決」を米国が欲していたのなら、単にドイツ降伏と同じぐらいのタイミングで「天皇制を残してやるから早く降伏しな」というメッセージを出してあげれば日本は応じたはず。

やはり原爆を落して効果を実験したかった/ソ連に対して核兵器の威力を見せつけておきたかったということでしょう。

また、数万歩ゆずって広島の原爆投下が戦争早期集結のためだったとしても、だったら長崎に落す前にちょっと間をおいて日本と交渉すればよかったではないのか。あわてて長崎(実際は小倉、だから軍事的にはもうどこでもよかった)に落したかったのは「別の型の原爆を実験したかった」ということしか理由が考えられない。



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内 容 ニックネーム/日時
ブログを拝見しました。疑問に思われていたことが次第にわかってきています。なるほどと思う部分もあります。そこでひとつ。池田信夫氏ですが、彼は史料を自分の都合のよいようにつまみ食いする癖があるので、そこから導かれる結論は一見筋が通っているようで実は通っていないケースが多いので要注意です。眉に唾を塗りたくってからお読みになったほうがよいかとご忠告させていただきます。damao様の活躍をご期待しております。というか、damao様のブログは面白いので楽しみです。
hina
2007/07/09 11:00
長すぎです。もうちょっと短くしてください。
NN
2008/01/09 14:53

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