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zoom RSS 「殺すくらゐ 何でもない」と闊歩している人はいるのだ

<<   作成日時 : 2008/06/22 11:12   >>

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辺見庸さんの新聞連載コラム「水の透明画法」に「夢野の歌と秋葉原事件/正気と狂気の判別困難」という題で、以下の歌が引用されていました。

殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を
濶歩して行く

何者か殺し度い気持ち
たゞひとり
アハ/\/\と高笑ひする

自分より優れた者が
皆死ねばいゝにと思ひ
鏡を見ている

白塗りのトラツクが街をヒタ走る
何処までも/\
真赤になるまで


この歌の作者は、私が生まれた年に亡くなった怪奇幻想の作家夢野久作(1889〜1936)という人で、「猟奇歌」という彼の歌集に収められています。私が生まれる前、70年も前にこんな歌を作った人がわが国にいたんですね。http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/933_22022.html
画像


(本名・杉山泰道。右翼の大物・杉山茂丸の子として生まれ、はじめ農園経営に従事。僧侶、新聞記者などを経て、作家に。死の前年に書かれた大作『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇味と幻想性の色濃い作風で日本文学にユニークな地歩を占める。


また、今週の週刊誌広告見たら、<ネットで「神」と崇められる「アキバ通り魔」>とあり、<「加藤ありがとう。勇気を与えてくれて感謝している」「加藤は俺たちの十字架を背負って死刑台に上がる!」今、通り魔「礼賛」の書き込みは増える一方―>とありました。本当なのでしょうか。

私はパンダマンさんの「凶悪犯罪の誤解を解くページ」を読ませてもらって、このような事件は過去にも外国でも起こっているので、なにも今の時代を象徴する事件ではないと考え、「通り魔事件はよくあることだ」という1文を書いたのでした。

それまではこうした犯罪事件が次々と起こるのは、今の時代が格差社会であり、若者文化がバーチャルなオタク文化の全盛だからだ、と考えていたのでした。

でも、この1文を書いては見たものの、その後もつらつら考えていると、どうも「誰でもいい」若者の通り魔事件の起こる頻度が近ごろは近過ぎていたのではないか。それに、今週の「週刊新潮」にあるように、通り魔「礼賛」の書き込みが増える一方なら、“加藤”通り魔犯人がいうように、このような犯罪予備軍は以前にもまして増えているのではないのか。そんな懸念もなかなか消えないのです。

この17日、オタク第一号の宮崎勤死刑囚に刑が執行されました。「犯罪の真相が究明されないまま、事件の幕引きがされてしまった」とか、死刑廃止の立場からの疑義の声などもあって、話題はつづいています。

20年も前に起こった連続幼児誘拐殺人事件、その犯行への“謎”解き、一体どれくらい時間をかければすむというのでしょうか。宮崎勤も加藤智大も、あのような歌を作った夢野久作と同じで、人間というものは、とくに若い男性というものは、あのような、なかなか理屈では解けない心境に陥ることがあるわけで、私たちが問題にするのは精神状態の解明よりも、その発散の仕方がどうだったかではないでしょうか。

裁判制度とか死刑の問題とか、これまで考えたこともないので、私の考え方はごく常識的で、麻原彰晃裁判を何年もかけてやっと結論を出す人権国家のやり方が腑に落ちず、それでも世界の人権大国に比べて問題ありと批判されていることにも合点が行ってないのです。 (でも、私は死刑執行者にはなりたくなく、その家族でもないことにホッとしているのです。)

精神医学についても無知で、凶悪犯人を精神鑑定するというのも、素人の私にはよくわからないところです。



さて、私がいいたいことはなんなのでしょうか。

通り魔はいつでもありうる。「殺すくらゐ 何でもない」と闊歩している人、特に若い男はいつでもどこにでも存在している。そういうことをいいたいのでしょうか。以下の夢野氏の歌、私もなんとなくわかるからです。


わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ
狂へと責むる
鞭をながめて

殺したくも殺されぬ此の思ひ出よ
闇から闇に行く
猫の声

人の来て
世間話をする事が
何か腹立たしく殺し度くなりぬ

春の夜の電柱に
身を寄せて思ふ
人を殺した人のまごゝろ

すれちがつた今の女が
 眼の前で血まみれになる
  白昼の幻想


殺しておいて瞼をそつと閉ぢて遣る
そんな心恋し
こがらしの音

此の顔はよも
犯人に見えまいと
鏡のぞいてたしかめてみる

黒い大きな
吾が手を見るたびに
美しい真白い首を
掴み絞め度くなる




もうすっかり枯れ果てた大人である私がいいたいこと、それは大人の責任として、国家社会の責任あるリーダーならなおさらのこととして、若者が「正気と狂気の判別困難」な状況にならない手だてをきちんと講じてやるべきではないのかということです。

現在のマイホームが個室化してしまっていますが、現在社会そのものも自由だとか個性だとかを強調し過ぎており、特にいまどきの若者は”オタク文化漬け”なのではないでしょうか。オタク文化が経済的効果があるから、反論しにくいのでしょうが、私はやっぱりわが子たちがオタクになってほしいとは思わないのです。


   (わが子がオタク文化の発信人なら、お金がどんどん入るから歓迎する 立場で信念の変わる 老獪ネズミ)



≪蛇足≫
さて、こんな歌もありました。与謝野晶子の歌のパロディーです。

やは肌の
熱き血しほを刺しもみで
さびしからずや
悪を説く君



なお、この歌が作られた昭和30年代、ある意味、今の時代に近いとかで、そのころを見直す書物が多く出版されています。

日韓併合が完了した後、張作霖暗殺(28)、柳条湖鉄道爆破(31)、溥儀を執政として満州国建国(32)、満州国を帝国に(34)、盧溝橋事件(37)、そして真珠湾攻撃(41)へとつづく動乱の時代だったようで、よもやこれから先そうなるとは思いませんが、その時代を感じさせる以下のような歌もありました。

かゝる時
人を殺して酒飲みて女からかふ
偉人をうらやむ

日本晴れの日本の町を
支那人が行く
「それがどうした」
「どうもしないさ」

満洲で人を斬つたと
微笑して
肥えふとりたる友の帰り来る



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