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zoom RSS 皇軍慰安所はこうして生まれたのか

<<   作成日時 : 2008/07/04 11:59   >>

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船戸与一さんの満州国演義V『群狼の舞』(新潮社・2007)を読みおえました。舞台は関東軍の熱河侵攻、満州開拓移民がはじまるころ、昭和7,8年ごろで、私が生まれる11年よりもまだ前の話です。この満州国演義まだまだつづくのでしょう。

ところで演義Uの『事変の夜』で、この小説主人公4人の中の1人敷島四郎がイギリス人ユダヤ系の親日派記者からこんなことをいわれる場面があります。

「わたしは日本に期待している。完全に東アジアを抑えてもらいたいと願っている。そのためには支那人の恨みを最小限に押さえなきゃならない。わかるでしょう、どこの国でも兵士はみな若く、凶暴です。とくに血腥い戦闘のあとはだれでもが女を欲しがる。わたしは海軍陸戦隊の兵士たちが民家に押し入り凌辱したという話をずいぶん聞いています。陸軍が上陸して来たら、そういうことはかならず頻発するようになる。支那人の日本人にたいする反感は取り返しのつかないものになりますよ。それは日本の植民地経営の重大な阻害要因となる」

(以後11行省略)

「金銭儲けが目的じゃないんです。支那人の強烈な恨みを買うことなく兵士の性欲を処理するための施設です。こういう仕事は売春宿の経営者には無理だ。イギリスにこういう諺があるのを御存じですか?仕事が穢ければ穢いほど、それをきちんとこなすには教養が要る。つまり、あなたのような知性が必要です」』 (『事変の夜』391〜392ページ


どうしてここにユダヤ人が出てくるのか不思議ですが、いまや特務機関のあやつり人形になってしまっている四郎は、数ヶ月間、上海にできた軍人相手の慰安所の管理人となり、今後のデーターとなる営業実績を報告することになります。


ところで、演義V『群狼の舞』では四郎の二番目の兄で、今は手下を失った満州馬賊の元欖把・敷島次郎が、天津領事館の門倉吉文と小料理屋で会う場面があります。次郎の兄敷島太郎は奉天領事館の参事官で、この門倉は兄の後輩です。この領事館は次郎に奉天領事館の兄についてこんな話をします。

「奉天の敷島参事官は承徳に進駐する第十六旅団への食糧補給に駈けずりまわったでしょう。しかし、もっと厄介な問題が持ちあがったんです」
「何です、それは?」
「第十六旅団の兵士たちは兵站欠乏の煽りを受けて、食糧の現地調達に走りまわったんです。そのとき、あちこちで強姦事件が発生した。それで、遠藤三郎作戦主任参謀は満州国にたいして娘子軍五百名を前線に送れと打電したんですよ。おわかりでしょう、この場合の娘子軍とは維新のときの会津若松で官軍と戦った会津藩の武士の娘なんかじゃない、ずばり商売女だ。満州国だけじゃそういう女を集めるのは到底無理ですから奉天領事館もその任に当たった。外務官僚はそんなことは慣れてませんからね、敷島参事官も大変だったと思いますよ」
「それで送られたんですか、五百名の娘子軍を承徳に?」
「もちろんですよ。満州国だけじゃあない、日本の運命が掛かってるんです。先月の二十七日に日本は正式に国際連盟から脱退したでしょう、こんなときに強姦事件の頻発を食い止められなかったら国際世論から轟然たる批難を受ける。満州国国務院も奉天総領事館も必死になった。その結果、何とか五百名の醜業婦を錦州に集めて列車で北票に運び、そこから関東軍差しまわしのトラックで承徳に送りこんだ」』(『群狼の舞』376ページ



さて、私はいままで従軍慰安婦問題については、ニュースで聞いたり、新聞を読む程度で、わが国にどうしてそのような兵隊相手の商売ができたのか考えたことはありませんでしたが、船戸さんの小説を読んで、そういう組織を設けることもそれなりに必然性があったんだなあと思いました。

国会では「軍の直接的関与があったか、なかたか」が問題になっつていたようですが、決着はどうなったのでしょうか。




≪追記≫
船戸さんの本は小説ですから、主人公の敷島家4兄弟はフィクションでしょうが、時代背景や時代を動かす人物などは史実に忠実に書かれているのではないでしょうか。

ネットで見ると、慰安婦問題について軍だけでなく領事館や警察署も協力して、「”女衒”の真似事」をしたと思わせる文献が載っていました。

 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件

 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス

(中略)

昭和十二年十二月二十一日

                在上海日本総領事館警察署13)



また、『皇軍慰安所とおんなたち』(峯岸賢太郎・吉川弘文堂・2000)という本も出ているのですね。その本の中には、まだ確かめてはいませんが、陸軍経理学校で軍慰安所設置方法を教えてもらったというような思い出話を、元サンケイ新聞社社長の鹿内信氏が元日経連会長桜田武氏との対談でしているのだそうです。その話とは、以下のようなことです。

鹿内「(前略)これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地へ行きますとピー屋が・・・。」
桜田「そう、慰安所の開設。」
鹿内「そうなんです。そのとき調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“待ち時間”が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分・・・といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要項」というんで、これも経理学校で教わった。この間も経理学校の仲間が集まって、こんな思い出話をやったことがあるんです。」
(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』上巻 サンケイ出版 1983年)

「ピー屋設置要項」というのは正式には「慰安所設置要項」あるいは「特殊慰安施設設置要項」であろう。
経理将校になるものは軍慰安所の設置・管理の仕組みまで教え込まれていたのである。
まさに軍慰安所のための万全の態勢が取られていたといわなければならない。



 (自分の出生地についてもある程度の知識を持っておこうかと退屈しのぎに読書をはじめ、それにはまる ネズミ)



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