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zoom RSS 歴史は「紀伝体」で学ぶ方がいい

<<   作成日時 : 2008/12/31 13:28   >>

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自虐史観”だ、“自尊史観”だと決めつける前に、私たちは歴史を、特にとてもかかわりのある近現代史については、まずそこに生きた人たちの個々の生きざまを知ること、そうすることが正確な歴史認識をもつ上で大切なのではないでしょうか。教科書のような「編年体」はどうしても編集者の史観が加わりますから、中国の『史記』とか我が国古典の『四鏡』(大鏡・今鏡・水鏡・増鏡)のように「紀伝体」で書かれているものを読む方がいい、私は阿川弘之翁の『大人の見識』(新潮新書)を読んで、そう思いました。


終戦時の首相であった鈴木貫太郎さん、幼い時の記憶にもその名は残っていますが、わずかに4か月の、終戦を受諾しただけの”腰ぬけ”総理大臣という印象でした。
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ところで、阿川翁の書を読んで、この人は大人物だった、みんなによく知られた有名な東条英機とは比べようもなく立派な人格者だったのだ いまはそう思うようになりました。


大人の見識』第一章「日本人の見識」で、阿川翁は不見識な日本人例が東条英機陸軍大将で、見識を持った日本人例の一人としてこの鈴木貫太郎海軍大将を挙げています。


鈴木さんがいかに見識ある人物であったか、この書をもとに、さらにWikipediaを参考にして、そのエピソードのいくつかを記録しておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E

≪その1≫
鈴木内閣成立4日後に急逝したアメリカのルーズベルト大統領に、鈴木さんは短波放送で、「私は深い哀悼の意をアメリカ国民に送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。」という短い談話を世界へ向けて発信したのだそうです。敗北寸前のヒトラーはそれとは対照的に罵しりました。そのステートメントを聞いたアメリカ亡命中のトーマス・マンは、英国BBCで「あの東方の国には、騎士道精神と人間の品位に対する感覚が、死と偉大性に対する畏敬が、まだ存在するのです。これが(ドイツと)違う点です。ドイツでは12年前にいちばん下のもの、人間的にも最も劣った、最低のものが上部にやってきて、国の面相を決定したのです」という声明を発表したのでした。 (いつの世でもどこの国・組織でも権力の頂点に最低のものが立つことがよくあるみたいですね。)

もしこの時の首相が鈴木貫太郎でなく、東条英機が推薦していた陸軍の畑俊六元帥だったら、ヒトラーのように「ざまーみろ」とか「天誅下る」とか、口汚く罵っていたのではないでしょうか。


≪その2≫
戦況悪化の責任をとって辞職する小磯國昭総理の後継者を誰にするか、それを決める重臣会議の構成メンバーは6名の総理経験者と内大臣木戸幸一、そして枢密院議長の鈴木貫太郎計8名だったそうです。このとき東条は本土防衛の主体だからと陸軍の畑俊六元帥をおします。また、陸軍以外の者が総理になれば陸軍がそっぽを向く恐れがあるともいいます。しかし、日本がここまで追い込まれてきたのは陸軍の責任ではないのかと他の人たちからいわれ、東條も反論できずに、鈴木貫太郎に決まったのでした。でも鈴木さんは「とんでもない話だ。おことわりする」と固辞します。

重臣会議の結論を聞いて天皇は鈴木さんを呼び、あくまでも辞退の言葉を繰り返す鈴木さんに対して、「この重大なときにあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と仰せになります。命令ではなく、“頼む”から総理をやってくれと言われて総理になった人物は、後にも先にもいないとのことです。皇太后(貞明皇后)様も「陛下の親代わりになって」とのお言葉があったのだそうです。


≪その3≫
鈴木新首相の施政方針は和平派なのか、戦争継続派なのか、ちっともはっきりしなかったそうです。6月8日の重臣会議で戦争継続についての意見を尋ねられた時、首相は「理外の理ということもある。本土決戦をしてでも最後まで戦い抜く。利あらざる時は死あるのみ」と東条と同じ意見をテーブルを叩いて叫び、、同席した東條英機を満足させます。

戦況の最もよかったころ、「この戦争に勝っても負けても日本は3等国に下る」と鈴木さんはいっていたそうで、それを知っていた志賀直哉は「卓をたたいて東条と同じことを言うのおかしい」と思ったそうです。「要求をすべて呑んだふりして、舳だけ沖へ向けて置き、突然港へ漕ぎ入れて、鈴木さんはこのボロ舟を救ったのだ」、阿川翁は終戦を見届けたあとの志賀氏の感想をそのように解説しています。

さらに阿川翁は以下のように述べて、この「国家の品位」の節をしめくくっています。

 卓を叩いて「あくまで戦う」と叫んだりしたのは、やはり鈴木さんの、一世一代の大芝居だったんだと、読者の納得が得られたかどうか。何しろ軍の強硬派は、広島長崎への原爆投下、ソ連の参戦という非常事態に直面して尚、本土決戦一億玉砕の主張を翻さなかったのです。鈴木さんは逆に、この悲惨事を好機として一挙終戦に持ち込むんですが、もしそれも失敗に終ったら、日本はどうなっていたと思いますか?団塊の世代なんてものは、こんにち存在しないんですよ。……。最後は両陛下も皇子皇女も、刺しちがえたり毒を仰いだりしてお亡くなりになる、二千年の歴史を持つ東洋の君主国は、文字通り亡び去ったでしょうね。


≪その4≫
最後に鈴木さんがおっしゃたと言われている言葉を3つ、挙げておきます。

「いやしくも名将は特攻隊の力は借りないだろう。特攻隊はまったく生還を期さない一種の自殺戦術である。こうした戦術でなければ、戦勢が挽回できなくなったということは明らかに敗けである。だが敗けるということは滅亡するということとは違うのであって、その民族が活動力さえあれば、立派な独立国として世界に貢献することもできるのであるが、玉砕してはもう国家そのものがなくなり、再分割されてしまうのだから、実も蓋もない」

「戦争は勝ちっぷりが良くなくてはいけないが、負けっぷりも良くないといけません。鯉は俎板の上に載せられたら、包丁をあてたってぴくともしない。あの調子で吉田さん、負けっぷりよくやってください」 (この言葉が鈴木内閣の外相であった吉田茂のプリンシプルであったと聞いていると阿川翁は記しています。こうした心構えでGHQとの交渉に臨んだであろうと推測しています。)

「軍人は政治に関わるべきではない」  (2.26事件と8.15終戦の日に、二度にわたって暗殺されかかり、その危機を生き延びた鈴木さんはこの言葉が晩年の信条だった、とWikiに書かれていました。)


鈴木貫太郎さんのこと、私だけがいままで知らなかったのでしょうか。映画やテレビでも、何度か取り上げられていました。

私はひとつも見ていないのですが、映画では「日本のいちばん長い日」(1967年)で笠智衆さんが、「2.26」(1989年)では芦田伸介さんが、テレビでは「そして戦争が終わった」(1985年)で森繁久彌さん、「聖断」(2005年)で松方弘樹が、それぞれ鈴木さんを演じておられたそうです。
http://jp.youtube.com/watch?v=Rx8LmjH7-sQ(「日本のいちばん長い日」予告編)


               (貫太郎さんの写真を拝見、「人は見かけが9割」というとおり、なかなか味のあるお顔だ、
                わが面の軽さと思い比べてすぐに自虐的になる ネズミ)

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