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zoom RSS 南京大虐殺の真相――船戸与一の『灰塵の暦』

<<   作成日時 : 2010/01/07 15:21   >>

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 2008年4月、図書館の新刊コーナーに「満州国演義」というタイトルの本を見つけ、どんな内容なのかとページをめくっていると、私が生まれて12年間も住んでいて、それ以後60年もなるのにいまだ訪れたことのない“マボロシのふるさと”通化という街の名がでてきたので、さっそく借りて読んで見ました。

 その「満州国演義」というのは船戸与一という方の書き下ろし長編小説で、今5冊目までが図書館の書架に並んでいます。

    『風の払暁 満州国演義1』(船戸与一著・新潮社・2007年)
    『事変の夜 満州国演義2』(船戸与一著・新潮社・2007年)
    『群狼の舞 満州国演義3』(船戸与一著・新潮社・2008年)
    『炎の回廊 満州国演義4』(船戸与一著・新潮社・2008年)
    『灰塵の暦 満州国演義5』(船戸与一著・新潮社・2009年)

 1と2は一昨年に、3と4は去年読んだのでしたが、去年の暮れに図書館で5冊目を見つけたので、正月は歌番組とネット囲碁の合間に5冊目の『灰塵の暦』を読むことにしました。

 時代の背景は私が生まれた昭和11年から12年にかけてでした。

 昭和11年の2月には陸軍皇道派による二・二六事件が起こり、翌12年7月にはいわゆるシナ事変が勃発、12月にはこれもいわゆる南京大虐殺が起こっています。

 当時のわが国は軍部の皇道派と統制派の権力争いがあり、皇道派の二・二六クーデターは統制派によって鎮圧され、北一輝などの民間人も含めて二・二六事件の首謀者たちは銃殺刑に処せらて終息します。

 それが収まると、今度は軍部内の対支慎重派と対支一撃派との争いとなり、“暴支膺懲”(粗暴なるシナは懲らしめるに限る)を唱える蛮勇の対支一撃論者がどうしても強く、石原莞爾らの慎重派は既成事実の前になすすべはなく、対支不拡充路線は完全放棄に追い込まれます。

 一方中国側では昭和11年12月に西安事件が起こり、その結果抗日のための国共合作が実現します。そのせいもあってか、支那軍の反撃は一撃派の予想を超え、“一撃”では収まらずに、戦火は上海戦へと飛び火し、日中全面戦争へと突入していきます。

 もはや政治のコントロールのきかない軍部の暴走は拍車がかかり、昭和12年12月、皇軍と称する日本軍は国民政府の首都であった南京を攻略し、陥落させます。



 私は一昨年にこのシリーズを読みはじめるまでは満州国についての書を読んだことはほとんどありませんでした。
 
 その後は図書館にある以下の書を、ここ1,2年の間で読んでみたのでした。

    『阿片王 満洲の夜と霧』(佐野眞一・新潮社2005)
    『阿片王一代 中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯』(千賀基史・光人社・2007)
    『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(太田尚樹・講談社・2005)
    『黄沙の楽土 石原莞爾と日本人が見た夢』(佐高信・朝日新聞・2000年)
    『甘粕正彦 乱心の曠野』(佐野眞一・新潮社2008)


 昭和12年という時代は東条英機が関東軍参謀長という地位につき、第二の満州国をということで綏遠事件を起こします。しかしその目論見は失敗しますが、それを補うべく参謀長たる東条が異例の兵団長をかねてチャハル作戦をしかけ、蒙疆傀儡政権を樹立します。また昭和11年には商工省工務局長であった岸信介が満州国国務院総務部司長として渡満し、熱河アヘンにつづく内蒙古アヘンの権益をも手に入れた東条は岸と組んで最高権力者へ上る足がかりを固める時期でもあります。

 要するにこの小説は敷島4兄弟という架空の人物を設定していますが、時代の背景そのものは作者の良心に従って正確に描こうとしている、私にはそう思われました。

 いわゆるシナ事変についても、支那駐屯軍謀略説、共産党説、藍衣社説の3つを挙げていますが、2や3であったとしても、対支一撃論派が渡りに舟と勢いづいたことに相違はない、と読みながら私はそう考えました。

 この書の最後は日本軍の南京攻略勝利で終わっているのですが、柳川平助第十軍長は杭州上陸の際に「山川草木全て敵なり」といって部下を叱咤激励し、そのせいか日本軍の行為は残虐を極めます。南京攻略の際は「皇軍の名誉を汚すな」という命令が出されますが、皇軍の糧秣は現地調達だったこともあり、スーパーに行ってまともに料金を払って買うはずはなく、手っ取り早い略奪行為に走り、ついでに婦女暴行も行われたに違いありません。また捕虜に食べさせる食糧はないということで、直ちに処刑し、銃殺刑以外に、日本刀での試し切り、初年兵の鍛錬ということで銃剣による刺殺も行われたことは、私自身の幼いころの見聞からもそのような行為が行われたことは間違いないと思いました。上官の命令には絶対服従で、鉄拳制裁など当たり前の軍隊生活、私もそんな状況下なら、平常では考えられないことを平気でしたに違いない、私はそう思うのでした。

 当時の大本営発表では「皇軍が外国の首都に入城するのは有史以来の盛事」として報道され、内地では50万からやがては百万に達する祝勝提灯行列があったとのことです。しかし、南京入城直後の松井石根中支那方面軍司令官は「せっかくの皇威を輝かしたのに、一部の兵の不埒な行為によって皇威が汚され、天皇陛下にどう申し開きすればいいかわからない」と、慟哭していたと最後のページに書かれています。

 この外、当時の満洲で活躍した東条英機や岸信介、石原莞爾、甘粕正彦、里見甫、川島芳子、小沢征爾の父小沢開作など実在の人物の活躍が話題として出てきます。それまでに満洲国関連の書をかなり読んでいたので、私は容易に理解することができました。


          (南京大虐殺はでっあげと発言して11日で辞任した元法相永野茂門氏が亡くなりました。
           30万という数字はオーバーだとは思いますが、この書に書かれているようなことはあったと思う 
           自虐史観のネズミ)


≪蛇足≫
国民学校で聞かされた覚えのある「満州国国歌」と満洲在住者にはなつかしい「満州娘」、お聞きください。
http://www.youtube.com/watch?v=NprDVmFaHU4&feature=related(「満州国国歌」)
http://www.youtube.com/watch?v=02X80m_wMbo&NR=1(「満州娘」)

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