日日是生日

アクセスカウンタ

zoom RSS 阿川弘之翁の東条英機評――『大人の見識』から

<<   作成日時 : 2010/01/11 07:52   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 2 / コメント 3

 『文藝春秋』を読むとき、私は必ず随筆巻頭の阿川弘之氏の文章から目を通すことにしています。また、その娘さん阿川佐和子さんは私の好きな女性のお一人です。

 前回の私のブログ記事「南京大虐殺の真相――船戸与一の『灰塵の暦』」で東条英機のことに触れたので、1年ほど前に読んだ阿川氏の『大人の見識』(新潮新書・2007年)に東条英機への小気味よい悪口が並べられていたことを思い出し、忘れないためにここに引用して紹介することにしました。

   (「老人の不見識――序に代えて」から)
     戦争中、ある意味で日本人は思考停止の状態にありましたが、戦後も逆のかたちで思考停止をやってい
    る。……。
     近頃はまた反動の反動が来て、日本の対米開戦を肯定するような議論も見かけますが、僕は賛成しませ
    んね。……。別に自慢にもなりませんけど、開戦当時の首相、その意味では日本を滅ぼしかけた最高責任
    者東条英機の、例の「ここに嚇嚇たる戦果が――」という有名な演説口調を、僕はじかに耳にしているんで
    す。 (P7)
 
   (「第一章 日本人の見識  東条の演説」から)
     国の運命を左右する要職に在りながら、「つゆ和魂なかりけるもの」の代表は、やはり東条英機陸軍大将で
    しょう。開戦の少し前から戦中の3年間総理大臣兼陸軍大臣を務めたこの人に、僕は今も非常な不満と不信
    感とをもっています。死者に鞭打つことはしないのが東洋の礼節かもしれないが、あえてそれを無視して不満
    を述べたい。 (P19)

     そのあとすぐ(引用者注;安田講堂で「嚇嚇たる――」の演説を聞いた後)、私は予備役として海軍に入り、
    やがて少尉任官、……三宅坂あたりで東条首相の車とすれちがったこともあります。……、そういう時は姿勢
    を正してきちんと敬礼しましたが、実際に尊敬の念を抱くとか、ひそかに親しみを感じたとか、そんなことは一
    度もなかった。何しろやることがみみっちいんだもの。 (P21)

     ……。それも含めて東条に対して極めて批判的だった知識人の一人は外交評論家の清沢洌ですね。清沢
    の『暗黒日記』(岩波文庫)には、こう書いてある。
    「世界においてかくの如き幼稚愚昧な指導者が国家の重大時期に、国家を率いたることありや――僕は毎
    日、こうした嘆声を洩らすのを常とする。帝大の某教授(辰野隆氏)曰く、『東条首相というのは中学生ぐらい
    の頭脳ですね。あれぐらいのものは中学生の中に沢山いますよ』と」 (P22)

     高松宮は早い時期にもう、日本の敗戦必至と見て、今後は戦争目的を如何に上手に負けるかに切り替え
    て行くより仕方がないと考えておられたのですが、「必勝の信念」を持つ東条が政権を握っていてはどうに
    もならない。ある日沈痛な面持ちで細川さん(引用者注;私設情報係りの細川護貞氏)に、
    「もうこうなったら東条を殺すしかない。誰かやる奴はいないか」
     と言い出されるのです。それに対して護貞さんは、明智光秀の「本能寺の変」の故事を持ち出して、
    「殿下がそれを仰有っちゃいかん。しかし一旦口に出された以上、すぐ実行しなくては逆に殿下のお命が危な
    い。やりましょう。電話をかけて、東条に此処へ来るよう仰せつけいただきたい。東条は必ずやって来ます。そ
    の時私が刺します」
     と、自分も命を捨てる覚悟で答えるのです。(引用者注;『細川日記』中公文庫) (P23)
    
   (「第一章 日本人の見識  局長ならば名局長」から)
      ……。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言うくらいすべて不足がちの時世に、陸軍はアヘンの密売で金を
    貯めて莫大な機密費を持っていたらしい。高木惣吉少将の戦後証言によれば、重要な会議のあと、要人が
    帰る車の中に洋服地や高級タバコ、高級ウイスキーなど普通は手に入らないものが積んであったそうです。
    機密費を使って何くれと付け届けを欠かさないので、宮中筋ですら東条の評判は割りと良かったといいます。
    (P26)

     恣意的な報復の実例がたくさんあるのです。……。
       (引用者注;懲罰招集の例として、「竹槍では勝てない」という記事を書いた毎日記者新名丈夫、東条を批判した東海大学創立者
         松前重義氏を挙げており、いずれも40前後で一兵卒として招集されたそうです。


     口では名誉の入営、栄えある出征といいながら、実のところ軍隊に取られるのは懲役に処せられるのと同
    じだと証明しているんですよ。細川護貞は、これについても、
    「海軍の計算によれば、斯くの如く東条の私怨を晴らさんが為、無理なる召集をしたる者七十二人に及べり
    と。正に神聖なる応召は、文字通り東条の私怨を晴らさんが為の道具となりたり」(昭和十九年十月一日)
     と書き残しています。 (P28)     

     その陸軍大将が、今、護国の神として靖国神社に祀られています。僕は信仰心が薄くて、人間死ねば無に
    帰すると考えているし、業績が後世に残ることは認めても、霊魂が残ってお盆にふるさとの家に帰ってくるな
    んてことは信じてませんから、靖国神社参拝も殆どしていません。それがもしお参りに行くとしたら、二十代で
    戦死した同期生たちに何かを訴えに行くのであって、この機会に東条さんのみたまを拝んで来ようなんて気
    にはなれそうもないですね。 (P32)

   (「第一章 日本人の見識  沈黙を守った人々」から)
     ただし、自殺やりそこないの傷が癒えて東京裁判の法廷に立って以後の東条は、なかなか立派だったと聞
    いています。
     ……。それで、多くの人が、他のことはともかく東条さんの天皇崇拝の念は非常に強かったと思っているら
    しいが、果たしてそうだったのかどうか。(P33)

     ……。陸軍第一国家第一主義、陸軍の言うことをきかぬ天皇なら強要してでも従わせろ、それで駄目なら
    幽閉して、別の皇族を天皇に立てればいいというのが、長年にわたる陸軍の皇室観だったのではないです
    か。 (P34)

     さて、これまで語ったところを振り返ってみると、僕は『細川日記』や清沢洌の『暗黒日記』を引用して、東条
    の悪口ばかり言ってますが、これは、先に述べた通り、アメリカとの「負けるに決まった」戦争が始まりそうな
    時、大勇猛心をふるってそれを阻止する人がいなかった、国の指導者層は「つゆ和魂なかりけるもの」ばかり
    で、その代表格が東条首相だと思うからこの人を取り上げたのでして、日本を滅亡の淵まで追い込んだ責任
    者は、陸軍の各部局を始め、海軍にも言論界にも大勢います。 (P35)

            (ザ・カルト・オブ・ヤスクニ全盛だった2007年ごろにこの翁はこんなことを書いていたのか 
             年寄りの言には素直に耳を傾けるべきだと考える 年寄りネズミ)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
 3 天皇  (2)
         ブログ小説            夕陽・少年隊         ...続きを見る
ブログ人
2010/01/29 03:17
菅首相は一手先をも読み間違える”ザル碁迷人”ではありませんように
 あけましておめでとうございます。 ...続きを見る
日日是生日
2011/01/01 22:00

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
 この新書、ぼくも読みました。東條がすべて悪、そういう議論にはついていけません。後知恵で善悪を論じる、それはもう飽き飽きですね。歴史には善悪はありません、そう思います。
つき指の読書日記by大月清司
2010/01/11 09:05
政治ブログ、たいていがだれかの悪口ですから、もう書くまいと思うのですが、ついつい腹が膨れて書いてしまいます。反省してます。
damao
2010/01/13 13:34
当時の陸軍の皇室観について記述がありますが、疑問を感じます。東條でさえ天皇の信任を得られず、戦時中に総理大臣の座を退かざるを得なかったのですから、陸軍がどうあろうと、当時の天皇の権威はそれに対し絶対的であった筈です。
コウタロウ
2011/03/18 21:33

コメントする help

ニックネーム
本 文
阿川弘之翁の東条英機評――『大人の見識』から 日日是生日/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる