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zoom RSS 菅総理は高等数学が解けるのですか

<<   作成日時 : 2010/08/14 13:02   >>

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 今朝のわが家の地元紙朝刊を広げてみると、2面に「民主党代表選 小沢氏不出馬強まる」、「続投 じわり追い風」と出ていました。

 小沢総理待望論も週刊誌などにもちらほら出ていて、6月号は立花隆氏の「小沢は死んだ」をトップにしていたあの『文藝春秋』も、9月号には藤井裕久元財務相の「小沢一郎さん、代表選に立候補しなさい」 という文を載せたりしていますから、ひょっとしてひょっとするのではと、いくらか期待もしていました。

 今朝の共同通信記事による小沢氏不出馬の根拠は、臨時国会をなんとか乗り越えたこと、8日の長野県知事選で勝利したこと、先週末に実施されたマスコミ各社の世論調査で続投支持が多かったこと、それに東京検察審議会の審議結果などからのようです。

 民主党代表選いよいよあと1か月になりました。週明けからは民主党代表選の綱引きがマスコミの話題にのぼるのでしょう。どうなることか私も含めて、どなたも分からないでしょうが、私は例え小沢氏の出馬が無理だとしても、菅直人の続投はやめにしてほしい、そう思っているのです。

 その理由は、菅直人という政治家は、一般人としてならいい人なのでしょうが、果たして”首相の器”なのかということです。

 わが国が直面している種々の課題を、数学問題として、その解答を菅氏にやらせると仮定したら、菅氏が解けるのはせいぜい「加減乗除」の算数計算ぐらいではないでしょうか。2次方程式とか3次方程式、微分・積分といった高等数学、私もまったくチンプンカンプンなのですが、菅氏もまた私と同じくらいに解答するのはムリなのでは、と思うのです。私なら誤解答でも許されますが、一国の首相には許されません。誤解答ばかりのそんな“愚かな”リーダーは国民にとっては迷惑至極です。

 考えても御覧なさい。あの参院選では熱に浮かされたように消費税増税を言い出し、それが受けないと感じると年収300万円とか400万円以下は還元するといい、最後は「唐突だった」と弁解に終始する。臨時国会では消費税の「ショウ」も口には出さず、それでいて財政健全化への熱意は不変という。そうした一連の対応に私は菅氏は”総理の器”ではない、そう感じてしまったのです。

 その後も広島市での「核抑止力は必要」という発言、被爆国の首相なら、もう少しもののいいようもあったのではないでしょうか。

 菅直人への評価はいろいろですが、その中の一つに「菅氏は現実主義者、その中でも“超”のつく現実主義者だ」というのがありますが、私もそうだろうなあと思うのです。

 ですから、“超”のつく現実主義者にわが国のあり方を大きく変えることを期待すること自体、そもそも無理な話だ、ということになります。

 そうであるからこそ、逆の対場からすると、菅氏の続投は利用価値が大いにあって都合がいいということなるはずです。守旧派の走狗マスコミが菅氏の続投を支持するのは「うべなるかな」です。

 私は今度の代表選に小沢一郎が出なくてもいい、その代わり海江田万里氏が統一候補になり、首相になって、小沢一郎は副首相格で入閣すればそれでいい、もしかしてその方がベターかも、今はそう思っています。

 ところで、“超”現実主義者という言葉が出てきたので、その意味を考えていると、2500年前の老子の言葉が思い出されました。そして、以下のようなことに気づいたのでした。

     そうだ。“超”現実主義者というのは自分の肉眼で見える物のみを信じ、人間の耳で聞ける範囲の音以外
    にも高い音、低い音が存在していることに気づかない者のことだ。きっとそうだ。



 そこで、その言葉をネットで探して見ましたら、「ちょんまげ英文日誌」さんのホームページが見つかりました。その記事全文、無断で引用しておきます。
http://blog.mage8.com/roushi-14

(引用開始)
老子の翻訳、第十四章でござる。
原文
視之不見、名曰夷。聽之不聞、名曰希。搏之不得、名曰微。此三者不可致詰、故混而爲一。其上不t、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是爲惚恍。迎之不見其首、隨之不見其後。執古之道、以御今之有、能知古始。是謂道紀。
書き下し文
これを視れども見えず、名づけて夷(い)という。これを聴けども聞こえず、名づけて希(き)という。これを搏(とら)うるも得ず、名づけて微(び)という。この三つの者は詰(きつ)を致すべからず、故(もと)より混(こん)じて一と為る。その上はt(あきら)かならず、その下は昧(くら)からず。縄縄(じょうじょう)として名づくべからず、無物(むぶつ)に復帰す。これを無状(むじょう)の状、無物の象(しょう)と謂(い)い、これを惚恍(こつこう)と謂う。これを迎(むか)うるともその首(こうべ)を見ず、これに随(したが)うともその後(しりえ)を見ず。古(いにし)えの道を執(と)りて、もって今の有を御(ぎょ)すれば、能(よ)く古始(こし)を知る。これを道紀(どうき)と謂う。
英訳文
Things that we cannot see, I call them “the obscure”. Things we cannot hear, I call them “the faint”. Things we cannot catch, I call them “the subtle”. We cannot sense these and these are originally the same one. The space above it is not bright. The space below it is not dark. I cannot name it because it is too vague. It returns to nothingness in the end. I call it, for convenience’ sake, “appearance of no appearance”, “form of the formless” or just “the vague”. You cannot see its face even if you meet it. You cannot see its back even if you follow it. If you observe the present time with “the way” from ancient time, you can understand the origin of things. This is the start of “the way”.
現代語訳
目をこらして視ようとしても見えないもの、これを「夷」と呼ぶ。耳を澄まして聴こうとしても聞こえないもの、これを「希」と呼ぶ。手探りで取ろうとしても得られないもの、これを「微」と呼ぶ。これら三つのものは元々一つのもので、我々には捉える事の出来ないものなのだ。その上に行っても明るくならず、その下に行っても暗くならない。おぼろげでとらえどころも無いので名づける事も出来ず、結局は無に帰ってゆく。これを「すがたの無い姿」、「かたちの無い形」または「おぼろげなもの」と呼ぶことにしよう。こちらに向かって来るのを迎えても顔は見えず、後から追いかけても後姿は見えない。この古くからの「道」を通して眼に見える今を見れば、物事の起源を知る事ができる。これを「道の始まり」と呼ぶ。

Translated by へいはちろう

さて相変わらず何を言ってるのかさっぱり解らない老子のお言葉でござるが、解らなくてもまったく問題はござらん。第一章で「道」は言葉では説明できないと言ったでござるが、それを何とか説明しようとしているのでござるな。

眼で見たり、耳で聞いたり、手で触れたりする事のできる物質の裏側に隠された本質みたいなもの。あるいは皆が考える当たり前の常識の本来の意義。そういうのを感じる事ができるようになれば、それが「道」を理解する第一歩である。おそらくそういう事でござろう。

  古えの道を執りて、もって今の有を御すれば、能く古始を知る

上の言葉は論語 為政第二の十一の「故きを温めて新しきを知る」という言葉に似ているといえば似ているでござるな、論語 先進第十一の一と併せて解釈すると、孔子と老子の違いと共通点が見えてくるかも知れないでござる。
老子の英訳をまとめて読みたい方は本サイトの老子道徳経を英訳をご覧くだされ。
(引用終了)


               (そういえば『星の王子様』にも似た言葉、ありましたな。世の中バカもいればすばらしい
                人もいるもんですね。こんな駄文しか書けない バカなネズミ)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
菅は東工大出なので、微分や積分自体はできたのだと思います。
ただ、超現実主義者ですから、微分や積分から思考形式を学ぶことはなく、試験合格とともに過去のものとして忘れ去られた、と考えると辻褄が合います(笑)。
微分や積分が試験に受かる手段でしかない超現実主義者の発想は、彼が掲げる「政治信条」と総理大臣になることとの関係にも同様に見られ、そのことが、一連の無様な言動に現れているように思います。
総理大臣になって何をするのか、書物などを通じて自分の政治思想を固める時間を今まで持ってこなかったような気がするのです。
彼にとっては今まで通りにやっているのに…、という気持ちなのかもしれません。
救いようがないことですが(笑)。
tesa
2010/08/16 20:16
 わが国工学部の最高学府の出身ですから、数学は並み以上の能力をお持ちに違いありません。でも、この国をどうするかという点になると、「自分の政治思想を固める時間を今まで持ってこなかった」、そんな感じで、不安・不満、そういうところです。
 このところ、ついつい菅さんの悪口ばっかりを書いてしまっていますが、私が書くようにそんなに悪い人なのか、救いようもあるのではないか、そんなことも考える今の私です。
damao
2010/08/17 13:19

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