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zoom RSS 政治家は炊き出しの列に並ばなくていいのか―本田哲郎『聖書を発見する』を読んで(1)

<<   作成日時 : 2011/02/08 15:18   >>

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 本田哲郎という名前は縁あって私が大学受験浪人時代に大変お世話になった家の長男でした。当時は中学生の年代だったのでしょうか、神学校に寄宿していると聞いていました。

 ところで、1月末のある新聞に「日雇いの街で解釈再考」というタイトルで、本田哲郎著『聖書を発見する』(岩波書店)の書評が出ていました。なんとなく目を通したのですが、私の知る本田哲郎氏とその生い立ちなどが似ているので、ひょっとしたらと調べてみたら、間違いなく同一人物でした。司祭になったという話は耳にしましたが、20年間も大阪釜ケ崎の司祭だったとは知りませんでした。
 http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?p=121私が地方紙で読んだ書評

 さっそくその書を手に入れて今読んでいるところです。私は本田神父のいっていることにまったく同感なのですが、私が言うならともかく、カトリックという組織の一員である聖職者がそんなはげしいことをいって大丈夫なのだろうかとびっくりしました。これでは“異端者”扱いされるのではないかと、心配になってしまいました。

 案の定、ネットを見ると「聖母をも冒涜する傲慢な司祭」として批判している記事も散見されます。

 それではまず最初に気づいた過激発言、紹介します。

   今日の世界は、あまりにも格差がひどくなっています。その格差社会をどんどん推し進めている張本人たちの
  ほとんどがクリスチャンでもあります。G7とG8と言われる世界のリーダーたちを思い出してください。国内の格差
  社会を教育の場にもちこんだのはカトリック信者で、三浦朱門という人でした。あの人が教育課程審議会の会長
  をやていたときの発言です。……「出来ないものは出来ないままでけっこう。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を
  上げることばかりに注いでいた労力を、出来るものをかぎりなく伸ばすことに振り向ける。百人にひとりでいい。や
  がてかれらが国を引っ張っていきます」と。……。
   ようそこまで言えるな、とあきれるほどです。……。元首相(麻生太郎)もカトリック信者だそうです。クリスチャン
  には、ろくな奴はいないとすら思う。
   ジョージ・W・ブッシュしかりです。熱心に教会に通っていらっしゃるらしいのですが、聖書を読み、聖書に従って
  生きようとしているはずの人が、なおかつイラクにおいて何万人もの人を殺戮することができる、その福音理解、
  聖書理解とはいったい何なのですか。(「序章 聖書に問う」P17

 どうです、このはげしさ。私もブログでアキカンとか姦・奸直人とか、現政権の悪口を書いてきましたが、匿名です。いまはもう実名でも恐いものはないはずですが、習い性というのでしょうか、実社会ではネコをかぶって自己保身です。

 つづけてこう述べています。

   聖書をしっかり読んで礼拝(ミサ)にも参加し、キリストの心が分かっているはずの三浦朱門が、こうした発言を
  する。そこにある聖書理解とは何ですか。イエスの価値観と正反対です。「ある人が羊を百匹もっていて、その一匹
  が迷い出たなら、九十九匹を山にのこして、迷い出た羊を探しに行かないだろうか。……そのように、この小さく
  された者がひとりでも滅びることは、天におられるあなたたちの父の心ではない」(マタイ福音書一八章12-14節)。G8
  に参加した先進諸国のリーダーたち、その大部分がクリスチャンのようです。プーチンにしたところが、ロシア正
  教の洗礼を受けているはずです。(同P17

 本田師は菅首相の「最少不幸社会の実現」ということには触れてはいませんが、当然反対でしょう。私もなんだか変だとは思っていましたが、社会運動家出身の菅直人は一貫して“上から目線”の社会運動活動家”だったのでしょう。

 この『聖書の発見』の中に唯一図版が載っています。それはフリッツ・アイヘンバーグという画家が、ニューヨークの公園あたりなのでしょうか、炊き出しの列に並ぶホームレスを描いた、以下の版画(?)です。
画像


 この絵のタイトルは「炊き出しの列にならぶイエス」(1953年)です。つまり、イエス・キリストは炊き出しの列をつくる人たちの側にいるのか、ボランティアの側にいるのかと問われたとき、この絵の答えは一目瞭然です。政治家菅直人はなんの疑問ももたずにボランティアの側に立って、一貫してニコニコしてきた方に違いない、私にはそう思えるのです。

   聖書を学ぶ者として、本当に責任を感じなければならない。聖書が本当にそんなふうに読めてしまうのか、と。
  もし聖書にかれらの判断と選択をよしとする神の心が啓示されているのであれば、わたしは今日からでも聖書を
  放り出します。しかし、福音はそれとは正反対です。聖書の翻訳、およびそれに基づいた神学の構築が、あるい
  は逆に、既存の神学に引き寄せてなされる聖書の解釈が、違った価値観の方へ、それも逆の方向へと導いてし
  まったのです。イエスがいのちを懸けて、十字架につけられてまで、わたしたちに神の子のいのちを伝えてくれた
  にもかかわらず、それとは異なった価値観の方へ、どんどん傾斜して行ってしまった。ガラテヤ人への手紙に言
  われている、「もう一つの福音」(一章6-10節)の方へと走って行ってしまっている。それは、怖いことです。そういう方
  向や、それへのきっかけをきちんとチェックできるような聖書の読み方を、以下で探り、少なくともその切り口ぐら
  いは得たいと思うのです。(同P18


     (民主党のマニフェストは誤りだったのか。私は一度も手にしてないのでわからないが、それを実行する人
      の立ち位置が違ったことが問題なのではないか。「小さくされた者」から、「大きくふんぞり返っている者」
      へと、その立場を変えてしまったからではないのか。被害妄想狂のホームレス・ネズミ)

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