日本はアメリカの属国、それででいいのか
今度の日米首脳会談後の昼食会で麻生首相は大統領とではなく米国有識者4人と昼食をとりました。元大統領補佐官であったスコウクロフト(81)、ブレジンスキー(78)、元国務副長官のアーミテージ(62)、現戦略国際問題研究所(CSIS)所長のハムレ(50?)、この4人の方です。
この中でオバマ大統領の最高顧問と目されるブレジンスキーの対日論、簡単にいうと「日本はアメリカの属国であり、被保護国である」ということで、この「属国」の「属」は「従属」、「服属」、「隷属」の「属」ではなく、「付属」の「属」でもなく、単なる「所属」とか「帰属」とかを意味する「属」だと理解し、中国やロシアの属国になるよりもベターな選択で、私たちはグローバル・アメリカ帝国株式会社の社員でよかったと感じ、「それでいいのだ」と書いたのでした。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200902/article_18.html(日本はアメリカの属国、それででいいのだ)
そうは書いたものの、優柔不断の私は「それでいいのか」という疑問もぬぐえないでいるのでした。
親会社が立派な社会貢献をし、経営トップは信頼でき、企業モラルをまもり、風通しも良く、社会貢献も大いにしている会社なら、その一員としてプライドをもってはたらくことができるでしょうが、トップは頑迷で知性のかけらもなく、詐欺まがいの商法で金儲けを企み、強圧的に命令をくだすばかりで、社会に大きな害を与える会社だったとしたら、暴力団とか、詐欺師集団とかが経営する悪徳商社だったとしたら、たとえ2番目の高給取りだったとしても一日も早く退職して、「知足」の精神で、分に応じた生活に戻った方が賢明なのではということです。
確かにブッシュ前大統領は私には頑迷であまり知性的な方だとは思えませんでした。総額8京円にも及ぶ詐欺手法のデリバティブ(金融派生商品)を世界中に売りつけて、世界中を大不況に陥れるなんて、企業モラルも社会貢献も今やもう最最低です。噂によると、今度は黒人系のオバマで行こうと最初に企んだのはデイブィッド・ロックフェラー(93)なんだそうで、やがて訪れる不況から発生する国内暴動にはあの肌の色が有効だからだとか。ネオコンとかイスラエル・ロビーとか伝統あるCIAの諜報活動とか、必ずしも風通しがいいとはいえない、そんなふうにもつい考えるのです。傾いたアメリカ帝国商社を再建するには最低でも40兆ドル(4000兆円)の税金投入が必要で、シティバンクもとうとう実質国有化されてしました。でも、あと50行くらいの中小銀行が経営危機に陥る見通しだとか。
これも噂なのですが、「アメリカ・ディソルブド案」(アメリカ見限り案)なるものが各国指導者の中でひそかに話し合われ、そのメンバーの先頭はベネズエラのチャベス、それにイランや北朝鮮、その背後にはBRICsが虎視眈々と控えており、やがてはイスラム教国の産油国もくつついてきそうだとか。
でも、こうした親会社のアメリカ衰退説、素人の私にはどれくらい信じていいか分からず、その答えを麻生総理に求めるには余りにも頼りなく、本当に信頼できる日本国経営者はいないものかと、私ごときが悩んでもどうにもならないことは分かっていますが、暇をもてあまして、ついそんなことで時間を潰してしまうのです。
ところで、産経新聞・正論に日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一氏が「『テロとの戦争』の何が誤りか」という論文がありました。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090225/amr0902250359002-n1.htm
その主旨は今は「冷戦時代」(熱戦のない時代)」が終焉して「不戦時代」(戦争のない時代)」になった。「不戦時代」とは「平和な時代」という意味ではまったくなく、「戦争に代わって紛争が世界の平和を脅かす時代」になったということ。「戦争」がなくなり、「軍隊」の任務が「警察」化する時代だということで、01年の9.11米国同時多発テロ事件を契機として、人類はまったく新しい安全保障状況である「紛争時代」に突入したというお考えです。
この人の論文以前読んだことがあるなあと思い、思い出してみると、やはり正論07年4月に「世界情勢を読み解く4つのカギ」という論文があり、私もこの論文を読んで同じだタイトルの文をブログにアップしていました。
http://www.jfir.or.jp/j/info-research/ito/070402.html
なお、調べてみると、伊藤氏、昨年7月、財団法人青森地域社会研究所記念講演会で「世界情勢を読み解くカギ」という題での講演記録がありました。
その講演後の質問の時間にある方が「ポスト・アメリカはあるのか」という質問をし、伊藤氏はそれに対して以下のように答えていました。かなり長くなりますが、その答えを全文引用しておきます。
http://www.jfir.or.jp/j/info-research/ito/ito_080918.pdf
(引用始まり)
私は、将来的には人類というのは、世界政府を、あるいは限りなく世界政府に近いものをつくって、安定した世界秩序をつくらなければ、核の拡散であるとか、テロリストやら、いろいろな問題が起こってきている中で、とんでもないカタストロフィーに陥っていく段階に来ていると思います。環境問題や資源エネルギー問題もそうだと思います。そういう時に、せっかく20世紀、21世紀の歴史を通じて、現在のような「不戦共同体」というようなものが形成されてきつつあるのであれば、これを強化し、盛り立てていく以上の道はないのではないか。これに対して、よく「ポスト・アメリカ」の後は「中国の覇権」だとか、「何国の覇権」であるとかと、おもしろ、おかしく論じ立てている人たちというのは、非常に危険な間違いをしているのではないか、と私は思います。そのような歴史観は、「歴史は無限に同じことを繰り返している」という歴史観なのです。「今まで歴史の中では、アメリカの前はイギリス、イギリスの前はスペイン、その前はどこと、いろいろな国が出てきては引っ込み、引っ込んでは出てきたではないか。だから、アメリカの後はまたどこかの国が出てくるに決まっている」という話になるわけです。しかし、私は、そんなことをしている余裕は、いまの人類にはもうないのではないか、と思うのです。歴史的時間というのは、加速度的に進行しております。現代の10年は中世の100年や古代の1000年に匹敵するスピードで進行しています。地球温暖化一つをとってみても、その変化のスピードは加速度的です。人類は死に急いでいるのかもしれません。そういうときに、世界政府をつくるといっても、これはみなが集まって議論していれば、まとまるという話ではなくて、どこの国も自分が中心の世界政府をつくりたいと思うわけですから、そういう時に、我々はできるだけ普遍性のある国を中心にまとまったシステムの方が、自国民の優越性、特殊性を言い立てる国を中心につくる世界政府よりも望ましいはずだという基本認識をもつわけです。そのあたりが、現状で我々が望むことのできる最大限の人類の姿ではないか。それ以上のことを望んでも、人類史というのは、ある意味で生き延びていく体制をつくれるのか、それとも破局の中で破滅するのか、むしろそのような選択を迫られる直前まで来ているのではないか。だから、「ポスト・アメリカ」の後は「どこの国の覇権」かなどと言う、野球の評論みたいなことを言っているゆとりは人類にはもうない、というのが私の認識でございます。 (引用終わり)
なるほどなあと私は思いました。
私が下線を引いた部分、簡単にいうと前者は「普遍国家」、後者は「民族国家」です。日本はもちろん「民族国家」です。ヨーロッパの国々もそうです。ロシアもそうです。中国も56民族からなる多民族国家だといっていますが、9割は漢民族ですから、やっぱりそうです。
でも、アメリカは違います。いまやケニア留学生の息子がアメリカ大統領です。閣僚など最高指導部には黒人系、ヒスパニック系、中国系、日系がまじっています。マジョリティーとマイノリティーの数が入れ替わろうとしています。そんな普遍国家だから、世界を束ねるのに最もふさわしい、伊藤氏はそうおっしゃるのです。
なるほどとなあと思い、私もやっぱり 「日本はアメリカの属国、それでいいのだ」 と改めて思うのでした。
(昨夜は演歌歌手ジェロの「母子で目指した紅白歌合戦」を見て、自殺未遂までした母親の苦労に
思わずほろりとした 心やさしいネズミ)
この中でオバマ大統領の最高顧問と目されるブレジンスキーの対日論、簡単にいうと「日本はアメリカの属国であり、被保護国である」ということで、この「属国」の「属」は「従属」、「服属」、「隷属」の「属」ではなく、「付属」の「属」でもなく、単なる「所属」とか「帰属」とかを意味する「属」だと理解し、中国やロシアの属国になるよりもベターな選択で、私たちはグローバル・アメリカ帝国株式会社の社員でよかったと感じ、「それでいいのだ」と書いたのでした。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200902/article_18.html(日本はアメリカの属国、それででいいのだ)
そうは書いたものの、優柔不断の私は「それでいいのか」という疑問もぬぐえないでいるのでした。
親会社が立派な社会貢献をし、経営トップは信頼でき、企業モラルをまもり、風通しも良く、社会貢献も大いにしている会社なら、その一員としてプライドをもってはたらくことができるでしょうが、トップは頑迷で知性のかけらもなく、詐欺まがいの商法で金儲けを企み、強圧的に命令をくだすばかりで、社会に大きな害を与える会社だったとしたら、暴力団とか、詐欺師集団とかが経営する悪徳商社だったとしたら、たとえ2番目の高給取りだったとしても一日も早く退職して、「知足」の精神で、分に応じた生活に戻った方が賢明なのではということです。
確かにブッシュ前大統領は私には頑迷であまり知性的な方だとは思えませんでした。総額8京円にも及ぶ詐欺手法のデリバティブ(金融派生商品)を世界中に売りつけて、世界中を大不況に陥れるなんて、企業モラルも社会貢献も今やもう最最低です。噂によると、今度は黒人系のオバマで行こうと最初に企んだのはデイブィッド・ロックフェラー(93)なんだそうで、やがて訪れる不況から発生する国内暴動にはあの肌の色が有効だからだとか。ネオコンとかイスラエル・ロビーとか伝統あるCIAの諜報活動とか、必ずしも風通しがいいとはいえない、そんなふうにもつい考えるのです。傾いたアメリカ帝国商社を再建するには最低でも40兆ドル(4000兆円)の税金投入が必要で、シティバンクもとうとう実質国有化されてしました。でも、あと50行くらいの中小銀行が経営危機に陥る見通しだとか。
これも噂なのですが、「アメリカ・ディソルブド案」(アメリカ見限り案)なるものが各国指導者の中でひそかに話し合われ、そのメンバーの先頭はベネズエラのチャベス、それにイランや北朝鮮、その背後にはBRICsが虎視眈々と控えており、やがてはイスラム教国の産油国もくつついてきそうだとか。
でも、こうした親会社のアメリカ衰退説、素人の私にはどれくらい信じていいか分からず、その答えを麻生総理に求めるには余りにも頼りなく、本当に信頼できる日本国経営者はいないものかと、私ごときが悩んでもどうにもならないことは分かっていますが、暇をもてあまして、ついそんなことで時間を潰してしまうのです。
ところで、産経新聞・正論に日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一氏が「『テロとの戦争』の何が誤りか」という論文がありました。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090225/amr0902250359002-n1.htm
その主旨は今は「冷戦時代」(熱戦のない時代)」が終焉して「不戦時代」(戦争のない時代)」になった。「不戦時代」とは「平和な時代」という意味ではまったくなく、「戦争に代わって紛争が世界の平和を脅かす時代」になったということ。「戦争」がなくなり、「軍隊」の任務が「警察」化する時代だということで、01年の9.11米国同時多発テロ事件を契機として、人類はまったく新しい安全保障状況である「紛争時代」に突入したというお考えです。
この人の論文以前読んだことがあるなあと思い、思い出してみると、やはり正論07年4月に「世界情勢を読み解く4つのカギ」という論文があり、私もこの論文を読んで同じだタイトルの文をブログにアップしていました。
http://www.jfir.or.jp/j/info-research/ito/070402.html
なお、調べてみると、伊藤氏、昨年7月、財団法人青森地域社会研究所記念講演会で「世界情勢を読み解くカギ」という題での講演記録がありました。
その講演後の質問の時間にある方が「ポスト・アメリカはあるのか」という質問をし、伊藤氏はそれに対して以下のように答えていました。かなり長くなりますが、その答えを全文引用しておきます。
http://www.jfir.or.jp/j/info-research/ito/ito_080918.pdf
(引用始まり)
私は、将来的には人類というのは、世界政府を、あるいは限りなく世界政府に近いものをつくって、安定した世界秩序をつくらなければ、核の拡散であるとか、テロリストやら、いろいろな問題が起こってきている中で、とんでもないカタストロフィーに陥っていく段階に来ていると思います。環境問題や資源エネルギー問題もそうだと思います。そういう時に、せっかく20世紀、21世紀の歴史を通じて、現在のような「不戦共同体」というようなものが形成されてきつつあるのであれば、これを強化し、盛り立てていく以上の道はないのではないか。これに対して、よく「ポスト・アメリカ」の後は「中国の覇権」だとか、「何国の覇権」であるとかと、おもしろ、おかしく論じ立てている人たちというのは、非常に危険な間違いをしているのではないか、と私は思います。そのような歴史観は、「歴史は無限に同じことを繰り返している」という歴史観なのです。「今まで歴史の中では、アメリカの前はイギリス、イギリスの前はスペイン、その前はどこと、いろいろな国が出てきては引っ込み、引っ込んでは出てきたではないか。だから、アメリカの後はまたどこかの国が出てくるに決まっている」という話になるわけです。しかし、私は、そんなことをしている余裕は、いまの人類にはもうないのではないか、と思うのです。歴史的時間というのは、加速度的に進行しております。現代の10年は中世の100年や古代の1000年に匹敵するスピードで進行しています。地球温暖化一つをとってみても、その変化のスピードは加速度的です。人類は死に急いでいるのかもしれません。そういうときに、世界政府をつくるといっても、これはみなが集まって議論していれば、まとまるという話ではなくて、どこの国も自分が中心の世界政府をつくりたいと思うわけですから、そういう時に、我々はできるだけ普遍性のある国を中心にまとまったシステムの方が、自国民の優越性、特殊性を言い立てる国を中心につくる世界政府よりも望ましいはずだという基本認識をもつわけです。そのあたりが、現状で我々が望むことのできる最大限の人類の姿ではないか。それ以上のことを望んでも、人類史というのは、ある意味で生き延びていく体制をつくれるのか、それとも破局の中で破滅するのか、むしろそのような選択を迫られる直前まで来ているのではないか。だから、「ポスト・アメリカ」の後は「どこの国の覇権」かなどと言う、野球の評論みたいなことを言っているゆとりは人類にはもうない、というのが私の認識でございます。 (引用終わり)
なるほどなあと私は思いました。
私が下線を引いた部分、簡単にいうと前者は「普遍国家」、後者は「民族国家」です。日本はもちろん「民族国家」です。ヨーロッパの国々もそうです。ロシアもそうです。中国も56民族からなる多民族国家だといっていますが、9割は漢民族ですから、やっぱりそうです。
でも、アメリカは違います。いまやケニア留学生の息子がアメリカ大統領です。閣僚など最高指導部には黒人系、ヒスパニック系、中国系、日系がまじっています。マジョリティーとマイノリティーの数が入れ替わろうとしています。そんな普遍国家だから、世界を束ねるのに最もふさわしい、伊藤氏はそうおっしゃるのです。
なるほどとなあと思い、私もやっぱり 「日本はアメリカの属国、それでいいのだ」 と改めて思うのでした。
(昨夜は演歌歌手ジェロの「母子で目指した紅白歌合戦」を見て、自殺未遂までした母親の苦労に
思わずほろりとした 心やさしいネズミ)
この記事へのコメント
これまでの衰退していった「民族国家」とは違う、との意見、当たっている感はしますが、
<世界の優秀なる「白人だけでなく、多くの国々から」民族が集結する>「多民族国家」として維持できることが、条件と思います。
日本も、(元々、日本は、縄文から弥生・奈良期に成立した「東南アジア諸民族を中心とした、」多民族国家と思いますので、)今後、低賃金の労働力としてでなく、<東南アジアのみで無く、>多くの民族を受け入れる度胸があれば、第2の「多民族国家」(=「普遍国家」?)となれるかも知れません。
その時初めて、「アメリカの属国」から、脱せるのでしょう…。
しかし、アジアを中心とする、第二の多民族国家の道はあり得ると思います。
但し、日本人が、いつまでも「日本人=単一民族」との考えに固執する限りは無理でしょうけれど…。