中国語の「量詞歌」と音読教育
今年のNHKのテレビ講座「中国語会話」には文法体操なるものが取り入れられています。
ことばというものは抽象的な知識による理解よりも先に身体で覚えるべきだという講師の先生のお考えからなのでしょう。ひょっとして、中国の初等教育ではこのように身体を通して覚える方法が日本よりも重視されている、普通である、だから、中国人講師の楊達さんはこの方法が一番だと自然に思われて、導入されたのではないでしょうか。
というのは、わたしは中国の小学校の1年生の授業を体験したことがあるからです。数ヶ月でしたが、文字を覚えるのに右手を上げて、書き順に従いながら、みんなで声をそろえて「横」、「竪」、「撇」、「捺」、「点」、「提」、「横折」、「横撇」、「竖钩」といいながら、文字の形をなぞることを繰り返していました。
声を出して学ぶことは他にもありました。「1枚」とか「1台」とか、数量を表す数字の後に量詞(助数詞とも)というものをつけるということが、日本語にも中国語にもありますが、日本ではこの「量詞」を学校で教えることはそんなにないのではないでしょうか。
ところが、中国では小学校1年の教科書に「量詞歌」というのがあって、みんなで声を合わせて暗唱する学習があります。教育熱心な家庭では3歳ぐらいのときに言葉遊びとして覚えさせているようで、視聴覚教材も販売されています。量詞を意識的に学習させるということは、日本語の量詞に比べて、中国語の量詞はそれだけ重要な任務を担っているからなのでしょう。
それではその「量詞歌」なるものを紹介しておきます。
一頭牛,兩匹馬, 三條鯉魚,四隻鴨, 五本書,六支筆, 七棵果樹,八朶花, 九架飛機,十輌車。
量詞千萬別説差。
(一頭の牛、二匹の馬、三尾の鯉、四羽のアヒル、五冊の本、六本の鉛筆、七本の果物の木、八輪の花、九機の飛行機、十台の車。 量詞は絶対間違いません。)
(日本語の助数詞もむずかしいですね。上のように訳しましたが、魚は尾でいいのでしょうか。本当はいつも○ヒキ、○ビキ、○ピキといってるのですが。)
また、こんな問題もありました。「紅紅が明明から手紙をもらいました。それを読んだ紅紅は思わず噴き出しました。どうしてですか」。ゴチ体の量詞が間違っているのですが、いったいどうなおしたらいいのでしょうか。
親愛的紅紅:
你好!我是你的好朋友明明,星期六,媽媽帶我到城去了,給我買了一個衣服,一個褲子,還有一個鞋子。媽媽還買了很多好吃的呢,有一根雞腿,二只魚,三兩黄瓜,四把蘋果,五塊梨,請你到我家來一起吃,好嗎?
你的朋友:明明
また「数字歌」というのを取り入れている幼稚園もあります。
一二三,爬上山,四五六翻跟頭。 七八九,拍皮球,伸出兩只手,十個手指頭。
「量詞歌」とか「数字歌」とかいっていますが、英語の「ABC」の歌のように特別のメロディーがあるわけではないようです。中国語は四声というのがあるので、定型フレーズを声を出して読むと、自然にある種のメロディーが出てくるので、「歌」といっているのでしょう。
ところで、昔の寺子屋では素読という学習が盛んだったそうです。いまも素読が見直されてきているというニュースもあります。しかし、わが国では素読を熱心に指導している先生はやっぱり少数でしょう。素読を取り入れることが、中国に比べるとどうしても無理をしているという感があるみたいです。
日本語の大部分は1語多音節です。それに比べると、中国語は基本的に1語が1音節です。つまり1つの発音が必ずなんらかの意味をもっています。そういう発声上の特色にも由来していると思うのですが、どんなものでしょうか。
(人間はいろんなことばを自由に使っているくせに、お互いの気持ちはまったく通じていない そう思っているネコ)
≪追記≫
中国語学者の上野恵司先生に「助数詞の話」という記事があります。(7)までありますので、参考になります。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0411&f=column_0411_005.shtml
ことばというものは抽象的な知識による理解よりも先に身体で覚えるべきだという講師の先生のお考えからなのでしょう。ひょっとして、中国の初等教育ではこのように身体を通して覚える方法が日本よりも重視されている、普通である、だから、中国人講師の楊達さんはこの方法が一番だと自然に思われて、導入されたのではないでしょうか。
というのは、わたしは中国の小学校の1年生の授業を体験したことがあるからです。数ヶ月でしたが、文字を覚えるのに右手を上げて、書き順に従いながら、みんなで声をそろえて「横」、「竪」、「撇」、「捺」、「点」、「提」、「横折」、「横撇」、「竖钩」といいながら、文字の形をなぞることを繰り返していました。
声を出して学ぶことは他にもありました。「1枚」とか「1台」とか、数量を表す数字の後に量詞(助数詞とも)というものをつけるということが、日本語にも中国語にもありますが、日本ではこの「量詞」を学校で教えることはそんなにないのではないでしょうか。
ところが、中国では小学校1年の教科書に「量詞歌」というのがあって、みんなで声を合わせて暗唱する学習があります。教育熱心な家庭では3歳ぐらいのときに言葉遊びとして覚えさせているようで、視聴覚教材も販売されています。量詞を意識的に学習させるということは、日本語の量詞に比べて、中国語の量詞はそれだけ重要な任務を担っているからなのでしょう。
それではその「量詞歌」なるものを紹介しておきます。
一頭牛,兩匹馬, 三條鯉魚,四隻鴨, 五本書,六支筆, 七棵果樹,八朶花, 九架飛機,十輌車。
量詞千萬別説差。
(一頭の牛、二匹の馬、三尾の鯉、四羽のアヒル、五冊の本、六本の鉛筆、七本の果物の木、八輪の花、九機の飛行機、十台の車。 量詞は絶対間違いません。)
(日本語の助数詞もむずかしいですね。上のように訳しましたが、魚は尾でいいのでしょうか。本当はいつも○ヒキ、○ビキ、○ピキといってるのですが。)
また、こんな問題もありました。「紅紅が明明から手紙をもらいました。それを読んだ紅紅は思わず噴き出しました。どうしてですか」。ゴチ体の量詞が間違っているのですが、いったいどうなおしたらいいのでしょうか。
親愛的紅紅:
你好!我是你的好朋友明明,星期六,媽媽帶我到城去了,給我買了一個衣服,一個褲子,還有一個鞋子。媽媽還買了很多好吃的呢,有一根雞腿,二只魚,三兩黄瓜,四把蘋果,五塊梨,請你到我家來一起吃,好嗎?
你的朋友:明明
また「数字歌」というのを取り入れている幼稚園もあります。
一二三,爬上山,四五六翻跟頭。 七八九,拍皮球,伸出兩只手,十個手指頭。
「量詞歌」とか「数字歌」とかいっていますが、英語の「ABC」の歌のように特別のメロディーがあるわけではないようです。中国語は四声というのがあるので、定型フレーズを声を出して読むと、自然にある種のメロディーが出てくるので、「歌」といっているのでしょう。
ところで、昔の寺子屋では素読という学習が盛んだったそうです。いまも素読が見直されてきているというニュースもあります。しかし、わが国では素読を熱心に指導している先生はやっぱり少数でしょう。素読を取り入れることが、中国に比べるとどうしても無理をしているという感があるみたいです。
日本語の大部分は1語多音節です。それに比べると、中国語は基本的に1語が1音節です。つまり1つの発音が必ずなんらかの意味をもっています。そういう発声上の特色にも由来していると思うのですが、どんなものでしょうか。
(人間はいろんなことばを自由に使っているくせに、お互いの気持ちはまったく通じていない そう思っているネコ)
≪追記≫
中国語学者の上野恵司先生に「助数詞の話」という記事があります。(7)までありますので、参考になります。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0411&f=column_0411_005.shtml
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