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zoom RSS 首相靖国参拝は“拜鬼“、どうして(2)

<<   作成日時 : 2006/08/15 20:10   >>

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わが国で「鬼」というと、「桃太郎」や「こぶとり爺さん」の赤鬼、青鬼のイメージだ。節分のときの「オニハソトー」の「オニ」、「ゲゲゲノ鬼太郎」の「鬼」だ。そこにはユーモアがある。あたたかみがある。親しみさえある。

しかし、中国人の「鬼」(GUI/グイ)は、どうも違う。冷たい死者のイメージだ。死相ただようぞっとするイメージだ。



さて、昨日、言語学者の鈴木孝夫氏のサイトを調べていて、中国文学者吉川幸次郎の講演「Godを戴く文化と戴かない文化について」への次のような批評を見つけたので、紹介する。


吉川氏は、一神教的な信仰の対象としての神様がいる地域を旅行した旅行者として、・・・・・・、以下のやうな事を述べてゐる。
• 生きた信仰の場である寺院が澤山あるパリは「抹香くさい町」である。
• ローマは町中を僧服の人がぞろぞろ歩いてゐて、やはり抹香臭い。
• イギリス・ロンドンでは、議會とウェストミンスター寺院が並んでゐるが、まるで國會の隣に本願寺が並んでゐるやうで、奇妙な感じがする。
• アメリカもまた、宗教的な雰圍氣がある國である。學生はさつぱり禮拜に來ないが、ともかく大學には必ず禮拜堂がある。選擧演説會には必ず牧師が來て説教する。

一方、支那には「神様がいなかった」。支那では、一往「鬼神」と言ふが、孔子は「いまだ人につかふる能はず、いづくんぞよく鬼(かみ)につかへん」と言つたやうに無神論の立場をとつてゐるし、以來、人間中心主義の思想が展開した。
支那と西歐とを吉川氏は比較してゐるのだが、講演の終りで、自分は「神様のいない文明」の方をより良く知つてゐるし、より愛してゐるかも知れない、と述べてゐる。同時に、神を天上に求めないのならば、地上に神を作つてしまふ恐れがある、とも述べる。
日本人は、神秘的な世界を持つ西歐よりも現實主義的な支那の方により親近感を抱く。しかし、どちらの立場をも採入れ得る、とは言へ、どちらがより良いものかは判らない、と吉川氏は述べてゐる。

「神様がいない世界」の缺陷を指摘した直後にもかかはらず、「どちらが良いか判らない」と吉川氏は言つてゐる。さう云ふ吉川氏の判斷の留保の原因は、「自分の流儀」である現實主義を愛してゐる事にある。




つまり、ここでわたしがいいたいことは中国はどうやら本質的に「Godを戴かない国」のようだということ。だったら、いくら小泉さんが、いや、日本人が「人は死んだらみんな神になるんだ」といったところで、13億の民の大多数はなかなか理解はできなかったであろう。

中国の神は「鬼」でもある、「神」でもある、「鬼神」でもある。吉川氏の本には「人が死んだら“鬼”」、「それ以外が“神”」という解説もあった。また、日本の幽霊でもある。日本の幽霊とはちがってちゃんと足のある、しかし青ざめた幽霊である。



また、鈴木氏の著述にあったかと思うが、「他の文明は象形文字が進化して表音文字になった。しかし、中国文明だけはそうした進化は見られず、いまなお表意文字のままである」と。つまり、漢字それぞれに、それなりの生々しい具体的なイメージがこびりついてるのだ。


日本人は、正確に言うなら「日本の神道は」だろうが、人が死んだら昇華して「神」になる。そこにはもう死の影は消えている。浄化されている。そう考えるのだろう。(わたしは”似而非〜”だから、そう考えていたかどうかは怪しい。)

しかし、中国では「鬼」も「神」も、先に述べたようにときに同じだ。どうも日本人のようにはすっつきりしたものではなく、いつまでも死に神のイメージ、死相ただよう、鬼気迫るイメージ、そんな感じなんだろう。特にあの小泉さんの白髪と紋付はかまの黒っぽい写真、あれを見て、大多数の中国人はそんな中国式葬式のイメージを受け取ったのではないか。「見たくない」という発想・発言も、中国人のそんな気持ちから出てきたのではないのか。


中国は一党独裁の国である。確かにそうだ。中国は言論が制限されている。確かにそうもいえる。中国は環境汚染で周囲に迷惑かけている。確かにそのとおりだ。中国の歴史認識も糾すべきだ。確かにそうだ。

ただ、あそこに住んでいる13億の人々は、わたしたち日本人がたまたま“美しい国”に生まれたように、たまたま中国という環境に生まれただけだ。その人たちまでを敵にまわすことはない。

全体主義ともいえる戦前に住んでいた日本人が、デモクラシーの中でのびのび過ごしている今の日本人より、道徳的にも人間としてもダメだった、とは決していえない。同じように今の中国で暮らしている多くの人たちはみんな○○主義者なんかではない。日本の職場の方が縦社会で、はるかに全体主義的だったりする。庶民はそれぞれの人生を一生懸命生きているはずだ。「戦場でなかったら友達になれたのに」という戦争映画の1セリフがあるそうだが、友達になれる人たちが、あの国にもたくさんいるはずだ。

「中国人は現実的な民だから、国籍にはこだわらない。食べるためには、平気で国を捨てる。しかし、中国四千年の文明、“龍”の子孫としての誇りは捨てない。どこに行っても中国的価値観と生活を押し通す」ともいわれる。

外交というものは為政者だけのやりとりですむものではあるまい。そこに住んでいる人たちの文化・文明をも理解して、最低、そこに住む人たちに悪い印象を与えるメッセージだけは避ける配慮もほしい。自分の「心」も大切だが、相手の「心」を傷つけないことも大切、そういう結論になったのだが、いかかであろうか。

(お隣のひとつ韓国について、わたしは1,2,3,4という簡単な韓国語も知らない。どうしてだろうか。)


                                           (似而非にほんネコ)

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