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zoom RSS 久間発言と米特使の「原爆が日本人の命救った」発言

<<   作成日時 : 2007/07/04 22:39   >>

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今朝のNHK「おはよう 日本」で、アメリカ政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使という方が、3日の記者会見で、広島・長崎への原爆投下について感想を述べ、「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語ったというニュースがありました。ネットで探したらasahicomが割りと詳しいので、その記事を紹介しておきます。


米特使、「原爆使用が何百万人もの日本人の命救った」

 米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使(前国務次官)は3日の記者会見で、広島・長崎への原爆投下について「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語った。

 米国とロシアの核軍縮枠組みづくりに関する会見での発言で、久間前防衛相の発言問題と直接絡んだものではない。ジョセフ氏は、「原爆を使用した米国が核不拡散について訴える道義的な根拠があるのか」との質問に対し、「米国は核不拡散で指導的立場に立ってきた」などとかわした。

 米国の歴史学者の間では、原爆使用と終戦の因果関係は必ずしも明確ではない、という学説が有力だ。だが、特使発言のような見方は、保守派を中心に米国内でなお根強い。米政府はこれまで原爆使用について謝罪したことはなく、ジョセフ氏もこれまでの流れに沿って原爆投下の正当化論を繰り返したものとみられる。 (2007年07月04日19時00分)



ところで、わたしは辞任された久間章生前防衛大臣が「アメリカはソ連の日本侵攻を防ぐために原爆を落とした」という認識を読んで、すこし前に読んだ防衛大学校の百旗頭真(いおきべ・まこと)学長の「栗林中将は『重きつとめ』を果し得た 」という記事を思い出し、2日、「久間発言と栗林中将」なる一文をこのブログに発表しました。百旗頭学長はアメリカが本土決戦を避けた理由として、以下のように述べておられました。



栗林が抵抗を続けていた昭和20年3月10日、マリアナ諸島を発ったB29の大編隊が硫黄島のはるか上空を飛んで東京大空襲を敢行した。栗林が妻への手紙に度々警告し、それを遅らせるためにこそ戦うとしていた事態が早々に現実となったのである。現場将兵の命を捨てての奮戦も、戦争の大局を変えることはできない。10万の東京市民が逃げまどい焼死する地獄絵を、硫黄島の抗戦はくい止めることができなかった。家族・同胞を敵の攻撃から1日でも守る栗林の切なる願いは、無残に砕かれた。「国の為重きつとめを果たし得で」は、栗林が曇りなくその現実を直視したことを意味しよう。

 政府・大本営の大局を誤った開戦決定を、現場の全将兵が命を費やして戦っても挽回(ばんかい)できるものではない。硫黄島の涙を禁じ得ない敢闘もその冷厳な事実を告げる。

 ≪悲壮な抗戦で得たもの≫
 そうした認識を私が改めたのは、米国公文書館で米国政府・軍部の文書を読んだ時であった。予想を超える硫黄島の犠牲は米国内で広く報道され、国民に衝撃を与え怒りを呼び起こした。わが政府と軍はどういう戦争をしているのか。米軍部はガダルカナルで22対1であった日米死傷者比率が、硫黄島で1対1となったことに衝撃を受けていた。火力と物量ではますます圧倒しているのに、日本本土に近づくにつれ、日本側の抵抗は熾烈(しれつ)となり、死に行く日本兵は米兵を地獄へ1人ずつ道連れにする形をとり始めた。本土決戦はペイする戦争でありうるのか。

 4月1日に始まった沖縄戦も、1カ月の作戦予定が3カ月に及ぶ苦戦となった。この時期、米政府内には「無条件降伏=本土決戦を通しての完全勝利」の方式への修正が始まる。5月末、グルー国務次官が天皇制の容認を含む穏当な対日条件を声明して、日本を降伏へ誘導する提案を行った。それに対し、トルーマン大統領やスティムソン陸軍長官は大筋の賛同を与えた。時期は先送りされたが、それが連合国によるポツダム宣言へと展開する。

 栗林中将の死闘は根深いところで動き始めた。米国側が、硫黄島・沖縄に続く本土決戦に疑念を呈し始めた。母や妻の声を尊重する民主主義社会は犠牲者数に敏感である。ベトナム戦争やイラク戦争の悲惨を、米国政府は日本本土の戦いについてはあらかじめ硫黄島で告げられたといってよい。無条件降伏の方式を事実上撤回し、穏当な条件を記したポツダム宣言が発せられた。本土決戦回避を米国の国益が望むに至ったのである。」

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070610/srn070610000.htm


わたしが下線を付したそうした認識とはその前の「政府・大本営の大局を誤った開戦決定を、現場の全将兵が命を費やして戦っても挽回(ばんかい)できるものではない」、つまり栗林中将をはじめとするわが国の将兵たちの国を思っての死闘は無駄な努力だったという認識なのでしょう。それが米国公文書館で米国政府・軍部の文書を読んで変わったといっているのです。わが国の将兵たちの死闘が「本土決戦回避を米国の国益が望むに至った」というのです。アメリカ人にすれば自分たちの仲間ができるだけ死なないでこの戦いが終わることを望むのは理解できます。当然です。

久間さんが「しょうがない」と口にしたのもアメリカの保守派に根強いこうした考え方にいつの間にか引きづられていたのではないでしょうか。久間さんだけでなく、こうした意見を述べているブロガーもかなりの数見かけます。「しょうがない」という考えが、本当は日本人の中にもかなりの広さで広がっているのではないでしょうか。


そこで、もう一度2日のわたしのブログでいいたかったことを繰り返します。


さて、8月15日が近づいてきました。またぞろ靖国の境内がさわがしくなる季節がやってきました。

それにしても、あの靖国神社に英霊として祭られている方々はあの世で、お互いにどのようにあいさつし、会話を交わしておられるのでしょうか。

軍人でもないのに戦争に巻き込まれて犠牲になった方々は英霊ではありませんから、そこにはいないのでしょうが、散華とか玉砕とか、特攻とか神風とか、「撃ちてし止まん」とか神州不滅とか、勇ましいことを叫んで、最後まで戦争を遂行しようとした方々と、その人たちに命じられて命を懸けて戦った方々とが同席しておられます。その方々の会話をわたしは聞いてみたいものです。


(わたしがいいたいことをはっきりいうと、あの東条英機大将は栗林忠道中将や特攻で散華された若者たちにどのように話しかけているのか、それを知りたいということです。謝っているのでしょうか。それともやっぱり命令しているのでしょうか。負け戦をいつまでもつづけようとした東条さんをわたしは英霊とは思いたくないのです。


(「ボクハ グンジン ダイスキヨ イマニ オオキクナッタナラ クンショウツケテ ケンサゲテ オウマニノッテ ハイドウドウ」 いまも歌える耄碌ネコ)

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「久間発言と米特使の「原爆が日本人の命救った」発言」について
「久間発言と米特使の「原爆が日本人の命救った」発言」について 之はアメリカが何をやっても正当化される。日本が全てが悪いのだというのだが、之こそ屁理屈である。確かに原爆投下は終戦を早めさせたことは認めるが、他に手段がなかったのか、今慰安婦問題が可決されようとしているときにいまどきこの話が浮上するのが自然の成り行きです。多くの人民を救うために少数の犠牲は必要悪であると論理になります。真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争、日本は民間施設へ爆撃をしませんでした。全て軍事施設でした。アメリカは無差別でした。... ...続きを見る
小山内翔龍のつれづれ俳日記帳
2007/07/05 03:15
原爆「しょうがない」に上塗り米国の論理
これはもっと世界から叩かれるべき。 慰安婦問題に続いて公然と侮辱されケンカを売られた 日本は真正面から抗議・非難しないと…安倍ちゃんいよいよ後がないよ。 ...続きを見る
D.D.のたわごと
2007/07/05 06:53

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
 だれも負けようと考えて戦争をはじめたわけではない。負けるとわかっていて、戦争をはじめたわけでもないと思う。でも、敗戦が、一般国民の目から見ても必至とわかったときの参戦意識と、おなじ国民が意識した開戦理由とは、4年半の時間的経過もあって、かけ離れていた。そのちがいを混濁させた議論は、意味がないと思う。つまり、12月8日の開戦理由と、8月15日にいだいた反省とは、おのずからべつのものだ。
 負け戦をいつまでもつづけようとした東条さんに、英霊の資格がないのなら、その命令に唯々諾々と従って、無謀な作戦を敢行した職業軍人としての栗林中将も、英霊の資格が疑われるのではないのでしょうか。負け戦の、捨石となった英霊に価値があるのとおなじように、やむおえない開戦を決意して、敗戦の責任をとった英霊にも、靖国の資格はあるという考え方もありうる。
 議論の分岐点は、あの戦争をどう解釈するのかのちがいだろう。負けるとわかっていた無意味な侵略戦争なのか、日本の近代の運命的な帰着点だったのか。それはまた、日本の近代史をどう理解して、そこからなにを学びとったのかの、個人的な資質のちがいでもある。
罵愚
2007/07/05 14:17
皆さん,今日は。
>無条件降伏の方式を事実上撤回し、穏当な条件を記したポツダム宣言が発せられた。

日本は無条件降伏しました。あれだけの米兵が犠牲になりながら,有条件降伏を許すことなど,米国輿論が許すはずはないでしょう。当時の米国にとって,日本人は人間ではなかったのです。9.11テロによるイラク戦争が始まった時と現在との米国輿論を比較して,参考にしてください。

>負け戦をいつまでもつづけようとした東条さんをわたしは英霊とは思いたくないのです。

日本の「一億玉砕」の決意が結果としてアジアを植民地から解放したことも亦事実です。国事に殉じた方々を英霊として祀るのは日本の神道としては当然と私は思います。それは私情とは関係ありません。英霊として祀ることが再び過ちを繰り返さないという誓いの意味となる,と言うのが神道の精神ではないか,と私は考えます。
藍愛和
2007/07/05 21:47
罵愚さんへ
コメントありがとうございます。あの大戦はどういう理由ではじめられたのか、どのようにして降伏を受け入れる決定をしたのか、今後の関心事としておきたいと思っています。わたしは囲碁が趣味なのですが、負けが決まっているのにいつまでもつづける人は嫌われます。当時の指導者たちは投げ方が下手だったとやはり思うのです。
damao
2007/07/06 16:02
藍愛和さん、コメントありがとうございます。
わたしは日本の神道というのがどのようなものか、日本人を長年やっているのですが、わが家がカトリックだったからでしょうか、恥ずかしながらよくわからないのです。やっぱり「英霊として祀ることが再び過ちを繰り返さないという誓いの意味となる」ということは理解不能です。
damao
2007/07/06 16:11
 囲碁だって一人でやるわけではないでしょう。相手が投了を許さない勝負だってあると思う。カサブランカからポツダムまでの連合国側の投了条件に、即刻国内の合意が得られないのは無理もなかった。
 探偵小説をうしろから読むように、歴史を現代からふりかえって当事者を非難する議論は、無意味だと思う。
罵愚
2007/07/07 05:38
罵愚さん,今日は。
>探偵小説をうしろから読むように、歴史を現代からふりかえって当事者を非難する議論は、無意味だと思う。

横槍,御免なさい。

探偵小説をうしろから読むことと、歴史を現代からふりかえることとは違う話でしょう。
藍愛和
2007/07/07 17:19
damao さん,今日は。

私の家には仏壇と神棚があります。一般的な日本人の信仰の仕方をしていると思っています。特に熱心な信者でもありません。それを前提として,私の考え方をお読み下さい。

平安時代の藤原氏は政敵菅原道真を非業の死に追いやりましたが,後に神として祀りました。それが天神さんです。

又,仏教の親鸞聖人は嘆異抄で「善人なほもつて往生を遂ぐ。況んや、悪人をや。」と言っています。悪人も他者の功徳によって往生できるのではないか,と私は考えています。誤解かもしれませんが。

東条元首相を供養しなければ,鬼となって日本に仇をなすかもしれないというのが,日本人の物の考え方ではないかと思います。私もそう考えています。それで東条元首相を靖国神社に祀ることに,私は賛成です。それは軍国主義賛美とか,日中戦争美化とは何の関係もありません。

東条元首相をヒットラーのように自国民が断罪して,ないがしろにすれば,或いは世界にネオ・ナチがはびこっているように,軍国主義の悪霊が日本に取り憑くかもしれないことを,私は恐れます。
藍愛和
2007/07/07 20:38
藍愛和さんへ
わたしは東条さんも自分の間違った判断で命を落とさせた人たちといつも鼻つき合わせているのはいづらいのではないか、なんとなくそうも思うのです。本当は本文に「(土下座して)謝っているでしょうか」と書きたかったのですが、表現が強すぎると思って削りました。どうもこの問題になると「心の問題」とか、「死者に鞭打つな」とかいった情緒的な思考・判断に日本人はなるのですね。そこが日本人のよさなのでしょうが。それに道真公と讒言したり左遷を命じたりした相手の方とは同じ神社に祭られているのでしょうか。
damao
2007/07/07 22:31
damao さん,今日は。
レス有り難うございます。

神様は人間ではないので,人間くさい行動は考えなくてもよいのでは。神様同士が喧嘩するというのは人間の発想です。そんな話もありますが,喧嘩も亦神様は神様の喧嘩のしかたをするように思います。

道真公は天満宮で,藤原氏の氏神さんは春日大社と思います。確かなことは知りません。
藍愛和
2007/07/08 08:48
 当時の日本人…戦争体験者と呼び変えてもいいが…のA級戦犯合祀の理由ですが、ふたつの事実を背景に想像できる。ひとつは、A級単独ではなく、B・C級とあわせて合祀の決定が、国会の論議のなかではおこなわれていたということ。つまり、A級だけは許せないから、合祀からはずそうという議論は、すくなくとも1952,3年には表面化していなかったと思う。
 ふたつめは、それでは、A級だけがなぜ、タイミングがずれたのかの理由は、おなじ時期に国会では靖国神社の国家護持が論議されていた。ここでは、A級合祀が国家護持のさまたげになるという判断があったわけだ。
 時代はすでに60年安保をまたいでおり、世論はそれを許さない情況にかたむいていた。つまり戦後の日教組教育に染まった世代の増加かなあぁ?
罵愚
2007/07/10 05:00
藍愛和さん、罵愚さんへ
わたしは東条さんを悪く思い過ぎていたようですね。
やっぱり久間さんが、いやわたしが腹を立てるべき相手はハーグ陸戦条約を無視して、無差別大量殺人を敢行したトルーマン大統領だったんですね。現代史の勉強ができて、久間さんにも感謝しております。
damao
2007/07/10 08:07
damao さん,今日は。

トルーマン大統領に腹を立てても仕方がないと思います。相手にするのは,日本が戦った連合国全体です。

連合国は日本の侵略戦争の責任が一部の指導者のみにあると考えており日本国民には戦争責任を問わないと宣言しました。しかし,日本人の多くは連合国による戦後裁判で死刑になった人達は日本国民全体の生命・自由・安全の為に命を捨てたという考えに従って行動したと私は考えています。刑死した指導者達の冥福のためにも,我々は侵略戦争は二度としないことを決意する必要があると思います。
藍愛和
2007/07/10 20:44

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