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zoom RSS 多喜二、大杉―拘束数時間後の死

<<   作成日時 : 2008/07/05 11:32   >>

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今、小林多喜二の『蟹工船』がワーキングプアとの関連でよく読まれているというので、遅ればせながら私も読んでみました。感想は前回のブログ「なぜ今『蟹工船』なのか」で書いたように、「いまどきのわけのわからない芥川賞受賞作品よりは筆力もあり、真摯な作品」というものでした。

小林多喜二ってどんな経歴の人なのかと、後ろについていた年譜を見てみたら、その没年の記事には以下のように書かれていました。

昭和8年(1933)30歳
2月20日正午過、赤坂区福吉町付近で街頭連絡中、今村恒夫と共に築地署特高課長に逮捕され、7時前後、同署内で警視庁特高課員の残忍を極めた拷問のため殺される。検事局、警視庁は死因を心臓麻痺と発表し、死体の解剖を妨害して死因の究明を妨げた。23日、自宅にて告別式。同日杉並区堀之内火葬場にて火葬。小樽市奥澤共同墓地に葬られる。3月15日、築地小劇場で全国的な労農葬が行われ、国内外からの抗議、弔辞多数寄せらる。 (手塚英孝編「小林多喜二全集」年譜)


築地署内でどのような残忍を極めた拷問を受けたのかはわかりませんが、正午過ぎに逮捕されて、その日の夜の7時前後に死んだというのはやっぱりとっても不自然なことでしょう。心臓麻痺ということですが、死因の究明のための解剖も妨害したとは、当時の警察権力は、いまではとても想像できない、人権無視もはなはだしいものだったのだなあ、と思いました。


この年譜を見て、私はちょうどその前に読んでいた太田尚樹氏の『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(講談社・2005)の大杉事件のところを思い出しました。

大杉事件とは多喜二の死のちょうど10年前、大正12年(1923)の9月16日に、憲兵太尉甘粕正彦が無政府主義者の大杉栄、その妻の伊藤野枝、さらに彼らの5歳の甥っ子橘宗一を、東京憲兵隊司令部応接間で殺害した事件のことです。なお、この半月前の大正12年(1923)9月1日は関東大震災が発生した日で、首都圏は戒厳令が引かれていた異常事態でした。

この大杉栄殺害の直前場面を太田氏は以下のように書いています。

 ……麹町憲兵分隊に着いたのは、6時半だった。 
 それから甘粕らは、大杉たちを同じ建物の階上にある、東京憲兵隊本部の隊長室へ連れてゆき、夕食にてんやもんを取って食べさせた。……。
 時計が8時を回った。森曹長が隊長室に顔を出して、「大杉、ちょっと来てくれ」と、呼びに来た。このとき、うなずいて立ち上がった大杉の横顔を、不安を打ち消そうとする野枝の作り笑いと、宗一の無邪気な笑顔が見送った。

 先に憲兵隊司令部の応接室に入った森曹長は、テーブルの向こう側の椅子に腰掛けると、すかさず、大杉をドアを背にして座らせた。
 硬い表情で無言のままだった森憲兵曹長が、おもむろに口を開いた。
「大杉、お前さんを随分探していたんだ。震災のあと、どこにいた」
 大杉はただニヤニヤするばかりだったが、ややあってから「あんたらも忙しかったみたいだが、こちらもいろいろあってね」と、人を食ったような返答をした。
「ほ、そうかい」
 両者の短い会話が途切れたときだった。急に応接室のドアが開いて、つかつかと男たちが入ってきた。 (89〜90ページ) 


この場面はここで終わっていて、そのあと、調書や公判で甘粕自身がこう陳述していると甘粕の言葉を引用しています。

「私はただちに背後から近寄り、右の前腕部を大杉の咽頭部に当てると、左手首を右の掌に握り、後ろに引きますと椅子から倒れましたから、右膝頭を大杉栄の背後に当て、柔道の絞め技で絞殺いたしました」

甘粕自身は甥っ子殺害は否定したとのことですが、とにかく憲兵隊の中枢部で順次このように殺害され、3名の死体はその後、兵に手伝わせてこも包みにして、憲兵隊構内にある古井戸の中に投げ入れて上からレンガで埋めたのだそうです。


まったくやくざ映画ででも見ているような行為ですが、むかしの憲兵隊とかは本当に平気でこんなことをやっていたのでしょうか。

そのような殺害行為をした甘粕正彦は懲役10年の判決を受けますが、3年あまりで仮出所し、夫人とともに外遊したのち、満州に渡り、満州映画会社の理事長として権勢をふるいます。そして”満州の夜の帝王”とまでいわれたというのですから、摩訶不思議な話です。甘粕個人でこのようなことをしたのか、できたのか、太田氏も疑問を呈した書きぶりです。

昨年でしたか、鹿児島県志布志市の選挙違反事例で、家族の名前を踏ませる取調べをしたということで、大騒ぎになり、取り調べた刑事に有罪判決が出て、その刑事は退職金も差止めされて懲戒免職になったニュースがありました。警察庁も取調べの可視化などというのを発表したりしていましたが、そうなるとこれからの刑事さんは取り調べに苦労するなあと同情していたのですが、国家権力、警察権力というのはやっぱりそれくらいしないと油断のならないものなのでしょうね。


なお、『蟹工船』には日本の船団をロシアから守るために帝国海軍の駆逐艦が航行するのを雑夫たちがたのもしく眺める、そんな場面があります。しかし、雑夫たちのストライキがうまくいったと思ったとき、駆逐艦から水兵たちが乗り込んできて、あっさり鎮圧されます。この場面、私は中国天安門事件を連想しました。「人民の軍隊が人民に発砲するはずはない」、純粋にそう思っていた学生たちに解放軍が発砲します。

国家と国民の関係、必ずしも親子の関係みたいではないのですね。


      (日本の近現代史を勉強したらますます”自虐史観”にはまり込む、勉強の仕方をしらない 阿呆・ネズミ)


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