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zoom RSS 「国民生活第一」、これこそが「やまとごころ」(和魂)だ

<<   作成日時 : 2010/08/16 07:03   >>

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 前回ブログで『老子』の言葉を挙げて、「今はだれもが読もうとしないからこそ、読んでおくのも希少価値があると考え、ときどきは世間で耳にする老子の語句を集めておいて、その語句を窓口に暇に飽かせて(『老子』を)読んでみよう」と書きました。その語句は以下の20語です。

  「学を絶てば憂いなし」   「功成り名遂げて身退くは天の道なり」   「五色は人の目をして盲ならしむ」
  「国家混乱して忠臣有り」   「柔弱は剛強に勝つ」   「小国寡民」   「千里の行も足下より始まる」
  「和光同塵」   「大器晩成」   「大道廃れて仁義有り」   「足るを知る」   「智恵出でて大偽有り」  
  「知者は言わず、言う者は知らず」   「天網恢恢、疎にして失わず」   「天は長く、地は久し」
  「為して恃まず」   「兵は不祥の器、君子の器にあらず」   「自らに勝つ者は強し」   「無為」   「無用」


 こうして並べてみると、どれも西洋のこむずかしい哲学なんかではなく、一種の実生活の智恵だということがわかります。

 ところで、わが国には「和魂」(やまとごころ)という語があり、「和魂漢才」、後に「和魂洋才」という語も使われています。

 この「和魂」(やまとごころ)を今の多くの人は、あの右翼の方々が街宣車に乗って振り回す旗などに書かれている「大和魂」という三文字を思い出し、そしてあの軍国主義の精神を想起するのではないでしょうか。

 そこで、「和魂」と「やまとだましい」を『広辞苑』で引いてみることにしました。

   わ‐こん【和魂】 日本人固有の精神。やまとだましい。
             →〜〜かんさい【和魂漢才】   →〜〜ようさい【和魂洋才】‥ヤウ
   やまと‐だましい【大和魂】
    @漢才(カンザイ・カラザエ)すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。和魂(ワコン)。
      源少女「才を本としてこそ、―の世に用ひらるる方も」→漢才。
    A日本民族固有の精神。勇猛で潔いのを特性とする。
      椿説弓張月後編「事に迫りて死を軽んずるは、―なれど多くは慮(オモイハカリ)の浅きに似て、学ばざるの悞
      (アヤマチ)なり」


 つまり、右翼の方々が掲げる「大和魂」というのは『広辞苑』のAの説で、それは@よりも後の武家社会の中で生まれたものなのです。

 もともとは『源氏物語』から出典されているように、「漢才、すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能」、簡単にいうと「実生活上の知恵・才能」を指す言葉なのです。

 ですから、小沢一郎が言い出したに違いない民主党のキャッチ・フレーズ「国民の生活が第一」というのは、「実生活上の知恵・才能」を活かして生活を向上させようということですから、これこそが伝統的な「やまとごころ」=「和魂」に違いないのです。

 私はかつて「「やまとだましい」(和魂・大和魂)とは」という文を書きました。
  http://lailai-hanyu.at.webry.info/201001/article_11.html

 その中で、『文藝春秋』の随筆・巻頭言を10数年書かれ、今月号で連載打ち切りを宣言された阿川弘之翁の著書『大人の見識』(新潮新書・2007年)の内容を紹介しました。

 その前半は以下の内容ですので、お読みください。

(掲載開始)
 先の大戦開戦から3年間首相を務めた東条英機を、今年は90歳になられる作家の阿川弘之翁(1920年生)が「つゆ和魂なかりけるもの」の代表だと、その著『大人の見識』(新潮新書・2007年)の中で、悪口を書いています。

 どうして東条英機が「つゆ和魂なかりけるもの」(「やまとだましい」のまったくない奴)なのでしょうか。

 阿川翁はまず日本人の欠点として「軽躁」(落ち着きがなく、軽々しく騒ぐこと)を挙げており、そのことを見抜いていたに違いないとして戦国武将武田信玄の「武将の陥りやすき三大失観」を引用して、以下のように述べています。

     一つ、分別あるものを悪人とみること
     二つ、遠慮あるものを臆病とみること
     三つ、軽躁なるものを勇豪とみること
     (武田信玄は)そう戒めています。さすが風林火山を旗じるしに掲げた武人の洞察力だと思います。風林の
    「林」は「徐かなること林の如し」で、軽躁の反対、静謐の価値を重く見ているんですからね。
     信玄の言う「軽躁なるものを勇豪とみること」は、時代が現世に近づくにつれて「失観」とも思わなくなるので
    すが、歴史を逆にたどって行くと、古く平安時代の説話で、やはり軽躁を戒めたものがあるのです。

 つまり、「つゆ和魂なかりける」東条は「軽躁なることを勇豪だとカン違いしている指導者」と見ているのでしょう。「和魂」とは「軽躁」なんかではないと戒めているその出典は、平安末期のわが国最大の古代説話集『今昔物語集』の「明法博士の清原善澄が強盗に殺されたこと」(第29巻第20話)で、阿川翁は以下のように要約説明しています。
http://www.wombat.zaq.ne.jp/esperanto/konzyaku/kon2920.htm原文ご覧ください

      清原善澄という学者の家にあるとき強盗が押し入り、家財道具一切合切を盗んで行く。床の下に隠れて
     それを見ていた善澄は、どうにも悔しくて我慢ならなくなり、ようやく一味が立ち去ろうとする時、後ろから、
     「お前たち、明日、必ず検非違使に届けて捕まえてやる」と罵った。怒った泥棒がとって返して、善澄は切り
     殺されてしまう。この話、『今昔物語』に出ています。作者は、こう批判している。
      「善澄、才はめでたかりけれども、つゆ、和魂無かりけものにて、かくも幼きことをいひて死せるなりとぞ

 この「和魂」、平安時代の古文は訓読が原則ですから、「やまとだましい」と読ませています。、阿川翁はさらに以下のように述べています。

      「やまとだましい」は明治以降、特に昭和初期の軍国時代、「大和魂」と表記されて大いに持てはやされ
     ました。「若い血潮の予科練の」で始まる西条八十作詞の『若鷲の歌』(昭和18年)にも、「ぐんと練れ練れ
     攻撃精神、大和魂にゃ敵はない」という有名な一節があります。一般には、こうした「撃ちてし止まむ」風の
     勇猛な精神が「大和魂」だと思われているようですが、『今昔』が「和魂」と書いている通り、本当は漢才に
     対する和魂なんです。日本人なら持っていて然るべき大人の思慮分別なんです。
     http://www.youtube.com/watch?v=sSp_BrnJ7rY(「若鷲の歌」軍歌、なつかしいです。私も予科練希望でした。

(後略)
(掲載終了)


              (右翼や左翼は大人の思慮分別がなく、イデオロギーばかりの頭でっかちだからダメなのだ
               そう断言する 自称偉大なる大哲学者 ネズミ)

≪蛇足≫
再掲文につづいて、「日本のナショナル・アイデンティティ(やまとごころ)(1) 」というのを書きました。よろしかったら、お読みください。なお、(1)とありますが、(2)は書いていません。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/201001/article_12.html

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