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zoom RSS 「原子力ムラ」の暴走を許したのはだれか

<<   作成日時 : 2011/04/10 22:38   >>

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 これまでのわが国の原子力行政を牛耳っていた人たちの集団、その集団を「原子力ムラ」というのだそうです。企業や電力関連研究機関で原子力研究開発に従事した経歴を持ち、現在、環境エネルギー政策研究所所長をされている飯田哲也氏という方が言い出されたとか。

 その飯田哲也氏に音楽プロジューサーの小林武史氏がインタビューする記事がありました。
 http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110408_5008.php(「緊急会議 飯田哲也×小林武史
 (2) 「なぜ原子力を選んだのか?
」 このインタビューは(1)から(4)まであります。

 その中で飯田氏は「というよりもやっぱり民主主義の話だと思いますね。」といい、「いま日本に起きていることは、明らかにこれまでの古い日本型システムの終わりを象徴していると思うんですね。言うなれば明治維新と太平洋戦争が終わったときに匹敵する転換期なので、これから様々な議論が起きるはずだし、起きないとおかしい。まだ事故が続いている中で、早々に結論づけて、これまでの考え方や仕組みのままでうまくいくんだという形で収めてしまうのは、それこそ国民が許さないと思うんですよね」と語っています。

 それではわが国の原子力ムラがどういうものであるか、飯田氏が語ったその一例を以下に引用しておきます。
  飯田 次に、いまNEDO(新エネルギー・産技術総合開発機構)の理事長をやっている村田成二さん(当時、経産
     省の事務次官)が六ヶ所再処理工場を、なんとか差し止めようと動かれたことがあります。これもまた複雑
     なんですが「経産省は、建前は再処理推進を装いながら、実質的には差し止めろ」と部下に命じて、経産省
     の経済合理派の役人は、六ヶ所再処理工場を止めるほうにまわったんですね。
      それは原子力推進・反対ではなく、「六ヶ所があまりにも経済合理性に合わないから、あんなものを作って
     いたら日本の原子力は逆にダメになる」という、日本で初めて生じた経済合理性をめぐる対立だったので
     す。しかし、それも結局は原子力ムラの人たちにつぶされてしまった。あれが2004年なので、そこからの7
     年間は、日本では原子力政策に関して、まっとうな理論がまるでできない、本当に歯止めのない期間でし
     た。
      ちょうど1年ほど前から、私は原子力に携わる内側の人たちと一緒に、原子力政策の合意ではなく、原子
     力政策が直面する課題を議論し合意するための、原子力政策円卓会議というのを始めました。原子力ムラ
     の中にも、ちゃんと議論ができる人たちがけっこういるんですよね。その中のある人が「今の原子力ムラの
     中は、安政の大獄なんですよ」と、非常に面白いことを言ったのです。普通のことを普通に外に向かって言う
     だけでも、完全に弾圧されて差し止めをくらうんだ、と。それほど言論統制が原子力ムラの内側にはあった
     のです。
      合理性とか論理を追求し、普通の議論ができなくなってきていることを内側の人が証言をしていたのが去
     年くらいのことですね。そしてその挙句に今回の事故が起きた。


 ところで、3月27日の河野太郎公式サイドを読むと、「六ヶ所再処理工場を、なんとか差し止めよう」と動きがあったことが以下のように書かれていました。
     原子力政策の分かれ道
      かつて、六ヶ所村に建設された再処理工場のアクティブ試験を始めようという時に、政策転換の議論が起
      きた。

      今、アクティブ試験を止めればこれ以上の税金を無駄にしないですむが、一度、アクティブ試験を実施すれ
      ばプルトニウムで施設が汚染され、その後、引き返そうとしても莫大な税負担が発生する、だから、ここで
      政策転換をしようという主張だ。

      プルトニウムを燃やす高速増殖炉は、1970年頃の予測では、21世紀初頭には商業的には利用できる
      ようになっているはずだったが、現実には高速増殖炉の開発は全く進まず、当時でも、政府は少なくとも2
      050年までは高速増殖炉の商業利用はできないと公式に認めていた。

      既にヨーロッパに委託していた再処理により、日本が保有するプルトニウムは40トン近くにのぼり、それ
      すら利用できないのに、六ヶ所村の再処理工場を稼働させて毎年、何トンものプルトニウムを取り出して、
      いったいどうするのか、という問題提起だった。

      再処理工場の稼働に反対する2 http://bit.ly/edGxH4
      再処理工場の稼働に反対する  http://bit.ly/fufsEZ

      経産省内部でも、事務次官黙認の下、今でいう「ジャスミン革命」の芽が生まれ、「19兆円の請求書」
      ( http://bit.ly/ed9f90 )というタイトルの快文書が世論に訴えるために作成された。

      残念ながら、マスコミはこれを黙殺し、自民党内でも政策展開の議論は広がらなかった。

      当時、科学技術担当大臣経験者の「ウランもプルトニウムも同じなのに、なにガタガタ言ってるんだ」という
      発言もあり、かなり多くの議員は、核燃料サイクルとウランを原発で燃やすことの違いを理解していなかっ
      た。

      あのときが、日本の原子力政策の転換の一つの大きな分かれ道だった。しかし、この福島の事故により、
      原子力政策に対する関心は、以前とは比べものにならないぐらい高くなった。

      これまでのように、電気は必要だから原子力発電に文句を言うな、再生可能エネルギーなんてコストは高
      いし不安定だからダメに決まっている、といった乱暴な声は少なくなっていくだろう。

      もう一度、徹底的な日本の原子力政策の見直しのための議論が必要だ。
      http://www.taro.org/2011/03/post-964.php



 さて、こうした「原子力ムラ」の暴走を、特に2004年以降許してしまった原因は何だろうかと思案していたら、池田信夫氏の「戦争は「軍部の暴走」だったのか - 『あの戦争と日本人』」(2011年4月9日)という記事が目に留まりました。その最後の2段落は以下のように書かれていました。
     このように大局的戦略がなく、空気に押されてずるずると状況的に意思決定が行なわれる日本的組織の欠
     陥は、現在の原発事故の処理をめぐる迷走にも受け継がれている。かつて丸山眞男などは、このような無
     責任体制の原因を天皇制による「権力の空白」を軍部が埋めたためだと考えたが、実は空白を埋めたのは
     「民意」だった。新聞が大本営発表を報じたのは言論統制のためではなく、好戦的な新聞ほど売れたため
     だ。

     だから大江健三郎氏のいうように国民に罪はないが軍部が暴走したなどというのは、小説以下のフィクショ
     ンである。国民の支持なしに、あれほど長期の戦争は不可能である。軍部の暴走を生んだのは、客観的条
     件を無視して「大和魂」さえあればどんな困難も乗り切れると思い込む国民と、それを説得できない(あるい
     は迎合する)政治家だった。愚かな戦争を生んだのは愚かな国民なのだ。
     http://news.livedoor.com/article/detail/5478055/

 最後の「愚かな戦争を生んだのは愚かな国民なのだ。」という文言、グサッときました。


 「原子力ムラ」の暴走を許したのも「愚かな国民なのだ」と後世の人たちから言われないために、私たちは、私はどうしたらいいのでしょうか。


                (昔幼稚園の演芸会で「ボクハ グンジン ダイスキヨ イマニ オオキク ナッタナラ・・・
                 と、なんと一人で、身振り手振りで、大声で歌ったことがなつかしい 軍国少年ネズミ)


                  

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
結局、今回の一件は日本における民主主義制度の問題点を印象付けたのは間違いないでしょう。
愚民による民主主義ほど怖いものはないと思います。
この制度を根本的に変えるのには教育制度の改革までいかないとどうしようもないのですが・・
相対する二つの意見を議論させ闘わせる、そしてそこで採用された意見が実働し、一方が
絶え間ない監視・牽制をする。詰め込み型の教育も全く否定するものではないですが、
このような民主主義の根本を根っこから植え付ける教育をして国民を育てないと
特に押し付けられた感の強い日本人の民主主義に対する理解ではどうしようもないですね。
ブログにあった内容を拝見すると、民主主義という科目が仮にあったとすれば、
日本の高級官僚レベルのお役人さんでも偏差値40でしょうw
ameblo.jp/sekaidetou...
2011/04/11 01:25
どうしたらよいかはむずかしいです。
テロに訴えるわけにはいかない以上、政治的にコントロールするしかないのだけど、原発村のような官僚がからんだ組織が好き放題やってきた動きを止めるには、よほどの腕力が必要で、そういう腕力があるのは政界に一人くらいしかいないのではないでしょうか。
ば菅みたいな食わせ者を持ち上げたマスゴミの責任は大きいですが、結局は、そんなものに踊らされた大衆の判断に行き着いてしまうように思うのです。
もともと民主主義などというものは、権力者による耐えられないような仕打ちから生まれてくるもので、戦後のこののほほんとした平和ボケのなかでは、教えても根付くものではなく、今回の災難がその起点になるにしても、先の長い話にも思えます。
tesa
2011/04/13 01:11
 このわが国民主主義の三権分立、四権分立ならぬ三権談合、四権談合政治を変えるためには、マスコミの改革がまずは一番じゃあないでしょうか。
 スポンサーには魂を売るようなエセ・ジャーナリストが愚民政策の先兵役をしている、先の戦時中で冒した過ちを繰り返している。だから、国民はバカな選択をする、そんな思いを抱いています。
 石原さん、パチンコと自動販売機をやり玉に挙げていましたが、もうひとつテレビも挙げてほしかったです。
 
damao
2011/04/13 07:58

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